Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

意味なしロジック

先入観というのはとても大事で、ともすれば論理破綻していても気にせず突き進むことすらあるのだなあ。ネット上で色々な情報を見ていると、本当にそう思う。


一目惚れっていうのはいつの時代でもあって、それまで芸能人で言えば誰が良いとか、身長とか年収とか学歴とか、あるいは性格はどんなのが良いとか話していたとしても、一目惚れが全てをなし崩しにしてしまうこともある。奥田民生の歌に、理屈じゃないのよ〜とあるがまさにその通り、理屈や論理性じゃ説明がつかないことなのだ。


僕自身もそうした第一印象から逃れられないことはよくあるわけで、一旦「何だか不気味だな」とか思えばやっぱり怖くなるものだ。普段は霊とかそういったものは理屈として否定していてもだ。特に新居は少しばかり古くて広くて暗くて、何だか不気味な印象を持ったが最後、夜中起きて仕事に行く前はトイレもドキドキだし、廊下やら和室やらの電灯をこうこうと点けて準備をしてしまう。


原発放射能についてもそうだ。原発否定派も推進派も、放射脳と呼ばれる人も、きっと理屈じゃないところでどうしても受け入れられないことがあるんだろう。論理破綻してる人が散見されるけれども、きっと結論ありきで後付けで理屈を話すからそうなる。嫌なものは嫌ってそう言っちゃった方がスッキリするのにね。
だからそういった意見の対立において、理屈で解決しようとしても難しい。双方とも論破されることは無く、必ずギリギリのところで論理破綻してもなお踏みとどまって折れる事はない。何故なら初めに先入観・第一印象による結論があり、それは感覚とかイメージとして脳を支配しているから、理屈じゃ溶かすことができないのだ。


日本人は理屈が先に立つ。引越しに際して調べた光回線の移転やら、金融機関から配られた制度変更に伴う手続きの説明などを見ても良く分かる。僕もそうだ。理屈がきちんとしていなければいけないし、だからこそ最初に理屈を述べようとしてしまう。
でもきっと本質的ではないんだよな。iPhoneiPadに触れているとそれも良く分かる。イメージとして脳の中にストレートに入ってしまうような、そういったものじゃないと届かないし、人を動かすことはできないんだろう。きっと。