Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

価値と休息、ハウスとホーム


昨日、家族4人で6/9、6/10にざおう森の回廊まつり開催します。 : ざおう森の回廊のバーベキュー&交流会に参加してきた。あいにくの雨だったけれど、ハーブ園のビニルハウスの中は居心地が良かったし、振舞われる地場産品は大変美味であった。うむうむ。志村さん、お誘いくださりありがとうございました。なかなかお話できず、また子どもたちがいの一番にケーキを食べてしまってスミマセン。その他、お声がけくださった参加者の皆様、ありがとうございました。


ところが、どうも娘が良くない。機嫌なのか調子なのか、とにかく良くない。いつものような食欲も見せず、本人もどうしてよいのか分からないフラストレーションのようなものが溜まっているようだった。


オムツ交換のために少し離れた車に移動すると、やたらと聞き分けが良い。オムツの交換を終えると、娘は自分の母親と兄貴を連れて帰ろうと言う。何とかなだめて、iPadでこども番組の動画を見せたら落ち着いた。どうも、僕と二人だけの空間の方がずっとリラックスできているようだ。
そうか、この子も気を使っているんだ。この子も見ず知らずのたくさんの人や、見たことも無い景色に気を使っていて、それは裏を返せばストレスになっているということだ。考えてみれば当たり前なのに、阿呆な父親はやっと気づくのであった。ごめんよ。ちょっと疲れたね。少し休もうか。
しばらく車内で動画を観たら少し落ち着いたらしく、交代に来た妻に抱っこしてハウスに戻り、美味しそうにケーキをついばんでいた。


こうした交流会というのは、新しい発見を生むチャンスであるし、刺激的でワクワクするイベントであることは確かだけれど、娘ほどストレートではないにせよ、僕らもまたストレスを抱えていることも確かだと思う。そうしたストレスを乗り越えたところに価値はあるのだろう。面倒だーとか言ってしまうとそれまで。それじゃあ何も生み出せない。
ただ、そうしたストレスを無視することも良くないとは思う。自分の世界に戻り、気持ちを落ち着け、次への活力を養う場所と時間が必要だ。娘は新しい家にまだ馴染んでなくて、休息が足りてなかったかも知れない。息子はどうだろう。妻はどうだろう。そして僕自身はどうだろう。


今日は日曜日。ゆったりと過ごしたいなあと思いつつ帰宅するであります。