Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

例えばノストラダムス

「我以外皆我師」と言うけれど、本当にその精神は大切だなあと改めて思う。
その人が話そうとすることを真摯に聴くことは、コミュニケーションの大事な大事な最初の一歩なのだ。自分に経験があったり知識があったり少しばかり自信があったりすると、つい自分のことや正確な情報を話そうとしてしまう。まあそれも良いけれど、まずは聴こうよ。聴いて、それから話すタイミングがあれば話せばいい。


例え目の前の人たちが、「ノストラダムスの預言はすごい。だってコレラを治しちゃったんだぜ」と話していたとして、
コレラじゃなくてペストだよ』とか
『医者だったし』とか
『病原菌のネズミをやっつけたんだ』とか
言いたくなるのは良く分かる。でもさ、彼らはそんな正確な情報が問題じゃなくて、【ノストラダムスはすげえんだぜ】がテーマなのだ。言いたくなってしまう情報というのは、そこんとこ理解して、分かって、その上で補足するようなことなのだ。


例えば、の話。


相手を師と思えば、口を挟まずにまずは主旨を理解しようと拝聴するよね。その精神があれば、みんなの話を真摯に聴くことができる、はず。僕も気をつけよう。