Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

21世紀のリアリスト

土曜日の午前中は、息子はサッカー、娘は保育園、僕と妻は仕事。(実は寝てたw)
サッカーを終えて僕の職場兼実家に息子は帰ってくる。着替えて昼食を取り、そのあとは娘がいる幼稚園&保育園に開かれている学童クラブに行くのだ。


学童へ行く道すがら、息子とサッカーについて話した。特に、香川真司の凄さについて話した。僕の考えがどの程度正しいかも分からないし、息子にどの程度伝わったのか分からないけれど、とにかく今の息子にとって最高のサッカー選手は香川真司ということになった。何となしに買っていたマンチェスター・ユナイテッドの傘を使っていたことも、香川真司との不思議な縁を感じるのかもしれない。


香川真司の凄さについて、僕なりに色々と話したけれど、その1つは「いかに香川はリアリストか」という点だ。逆に言えば、これまで人気があって海外でもそれなりに活躍した日本人選手がいかに「理想主義だったか」ということに繋がる。理想主義というとちょっと語弊があるかも知れない。要するに、僕を含めたこれまでの日本人が大好きだったのは「いかに芸術的か」「いかに美しいか」「いかに画期的か」という点だったと僕は思っていて、それが中田英寿香川真司によって「でもゴールしなきゃ意味無いじゃん」という意識に変わってきたと思っているということだ。


香川のプレーそのものは、基本的にあまり華が無い。むしろ、華が無い方の選択肢を取っているような気すらする。しかし、彼は結果を出す。結果とはゴールだ。相手の得点を上回る数のゴールだ。ゴール、アシスト、起点、そのいずれかに関わって結果を出す。そして、その結果こそが本当の華であることを香川は体で知っているのだ。
僕らはこれまで、いかに良いプレーをするかを考えていた。良い、美しい、芸術的なプレーさえすれば、必ず結果に繋がると信じていた。ところが、決定的なスルーパスをするだけで僕らは満足してしまった。決定的なスルーパスを1回だけ通せば、そのあとにどんな凡ミスをしても許した。それは、必ずしも結果には繋がらなかった。
実は、サッカーは90分もある。決定的なシーンをどれだけつくろうと、それを上回るゴールを決められたら所詮負けゲームであり、それではダメなのだ。


あくまで結果にこだわり、結果こそ全てだ。それを海外のタフな世界で体で表現し、初めて日本人に伝えたのは中田英寿だった。しかし、それは日本人の意識を変えるまでの時間は持たなかった。そして、今のA代表クラスの選手たちがそれを継承している。本田が、長谷部が、長友が、岡崎が、結果を出し始め、そして香川真司がその先頭に立った。息子はこれから、香川真司を観て、本田や長友を観て、続く日本人選手を見続けることになる。結果にこだわることの大切さを、その無垢な心に刻み始めるのだ。
日本人のサッカーは変わったんだな。そう思った。強くなるというのはこういうことなんだ。


結果という本当の華を生みだす。それは、何もサッカーに限ることじゃない。