Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

1年3ヶ月ぶりの谷津ファミリー


日曜日、祖母が九州から帰ってきた。昨年3月18日に那須塩原駅で別れて以来の再会だった。
その頃は、電力が復旧したとはいえ大きな余震は続き、原発も不穏な状況が続いていた。ガソリンやプロパンガス、上下水道などのライフラインの復旧にはまだまだ時間がかかりそうだった。家族で色々と話し合い、僕の妻と子を東京に疎開させたのに続いて、祖母を僕の従兄弟のいる千葉に疎開させることになったのだ。当時、ちょうど叔母(祖母の娘、僕の父の妹)が自分の娘の住む千葉に来ていて、そこに一旦避難し様子を見ることになった。
心細いガソリンの残量に気遣いながら、那須塩原まで走った。東北新幹線は、まだ那須塩原までしか開通していなかったのだ。迎えに来ていた叔母とその旦那さん、そしてその息子(僕の従兄弟だ)の出迎えを受け、僕と母の涙腺はつい緩んだ。那須塩原駅周辺は放置された車両があらゆる駐車場を埋めていた。僕ら家族とその車を、3月にしては暖かい光が照らしていたのだった。
その後、叔母が自宅のある九州に戻るのに合わせて祖母も九州へ行った。初めて九州で過ごす冬は、東北と比べて暖かかったのだろうか。


祖母を息子と娘が出迎える。特に娘にとっては、もしかすると初対面に近い感覚だったのではないか。
中途半端な昼寝のあとだったため、だいぶ機嫌が悪かった。祖母への挨拶を後回しにして、泣く娘を抱いて外へ出る。暖かい光の中、新緑を見つめる。時折強い風が吹いて、1年前と比べるとだいぶ伸びた娘の髪をなびかせる。「ね。ひいばあちゃんに、『こんにちは』しようよ」と声をかけると、グッと頷いてくれた。娘は、無邪気な笑顔を祖母に見せてくれた。


やっと、日常が戻ってきたんだな。こんな内陸の、ほとんど被害らしい被害がなかった我が家ですら、日常に戻るために1年3ヶ月を要したんだな。そう思った。