Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

いいわけと次世代アート

少し疲れてしまったようで、このところ午前中は会社を休んで寝ていたり、夜も家事育児の一切を嫁さんに任せて休んだりしていた。ブログどころかTwitterFacebookも手がつかない状況。どうやら体だけではなく、気持ちも疲れてしまった模様。弱い弱い。
あれをやらなきゃ、これも早く済ませなきゃ、とか考えると焦ってしまって、結果夜眠れなかったり体が動かなかったりして悪循環に陥ってしまっている。


何とか昨日あたりから少しずつ復活してきた。今日は予定が入っていることもあって、午前中から動き出せている。焦りは禁物だけれど、こうして少しずつ元に戻して、目の前の仕事を粛々と済ませよう。誰かの迷惑になることだけは避けなければ。


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価値観の相対化というのはいつの時代でもあることで、大きな力の存在はいつしかアンチを生み、それによって価値観を相対化させる。昔は往々にして強大なチカラ=為政者だったわけで、反体制というのが価値観の相対化へ向かう大きなエネルギーとなった。そんなとき力を発揮したのが芸術的スキルを持った人間であり、演劇や小説、音楽や絵画などでアンチエネルギーを解放し支持を得たわけだ。


ところが、今、アートは昔のような存在感を示していない。すなわち、価値観の相対化にアートが果たすべき役割は昔から比べて著しく劣ってしまった。人々はインターネットという、低コストで世界中に発信できるツールを持ち、それぞれが様々な場所で価値観の相対化、すなわち大きなチカラに対する反論を述べることができるようになった。ある市場を独占していた企業、独裁者、あるいは国民を騙し続けてきた為政者に対し、我々は自由に反論を述べ、それが日本中世界中に広がる可能性を持つようになったのだ。


じゃあアートはなんだろう。昔のように、大きなチカラに対する反逆的思考を表現するだけの時代は過ぎてしまった。単なるエンターテイメントではない、アートはどんな役割を持つのだろう。


それは、「表現するスキル」にあるのではないか?