Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

飲みニケーション+食べニケーション+共同ニケーション

昨日は仙台で会議があり、新しい仲間が参加してくれたため歓迎会という運びになった。ところが僕はどうしても歓迎会には参加できず、仕方なく帰路についた。来月も同じメンバーでの会議があるので、その後にもう一回歓迎会やろうということで勘弁していただいた次第。残念極まりない。


飲みニケーションという言葉があり、数年前からはどちらかと言うとネガティブなイメージで使われていたような気がする。飲みニケーションは意味ないよ、飲んだって仕方がない、もっと有意義な意見交換をするべきだ、時代遅れも甚だしい、云々。
ところが、最近は結構見直されているような気がする。すなわち、意味ないよという声に押されて飲みニケーションを減らした結果、仲間同士の信頼関係が薄れてしまい、業績の悪化(低下)や職場の雰囲気が悪くなるといったことが現れてきたのだ。
そこで、飲みニケーションは飲みニケーションでその役割をしっかりと認識した上で、業務に差し支えない範囲で行うようになってきたように思う。また、お酒が飲めない体質の人や夜なかなか遅くまで外に出られない人を鑑み、昼食を一緒に摂ったり、あるいは朝に茶話会のようなミーティングを持ったり、そうした言うなれば「食べニケーション」という形で何とかコミュニケーションの機会を増やそうという傾向も見られてきた。
さらに言えば、みんなでボーリングをやってみたり小グループで旅行に行ってみたりといったことも、メンバーそれぞれが互いを理解し共同体としての意識を持つためのアプローチとして役割を再認識されつつある。一緒に行動することを通じてコミュニケーションを取る。言うなれば「共同ニケーション」である。


確かに飲み過ぎは良くない。お酒の席のトラブルもある。家庭に影響しても良くない。だから、節度を持って程々に、であれば、十分意義深いものなのだ。まあ、その節度という点が、お酒の場合難しいのだけれど(笑)。


何が言いたいかというと、僕も飲みたかったー(´;ω;`)ということなのだ。