Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

それは兆しのページェント


昨日は業界団体の集まりがあり、会議場から懇親会場までちょうど定禅寺通りを横断する必要があったので、ちょっとだけ光のページェントを見ることができた。幾分風が冷たかったけれど、風は無かったし、光のページェントを楽しむには絶好の機会だったかもしれない。たくさんの人出で、誰もが和やかな顔で光を見つめているところを眺めると、全く関係ない僕なのにホンワリと心があたたまるような気がする。


これで、今年の仙台での会議は最後。あとは自社で粛々と選挙や元旦に向けて準備を進めるのみである。


今年も色々なことがあった。一年を漢字一文字に表したら何になる?と先日妻と話して、どうやら「兆」(きざし)というのが良さそうな気がしている。表面的にはあまり大きな変化はなかったけれど、心や意識の深いところでは大きな変化を僕も妻も感じているし、それが成長なのかあるいは退行なのかは、きっと来年の結果次第なのだろう。昨年から予定していた引っ越しをようやく終え、小学校に進学した息子と2歳を迎えた娘は著しい成長を見せ、あらゆる栄養素や外的刺激をその身の中に蓄え続けている。きっと、来年はそれが何かしらの実になり、あるいはその準備段階に入ることが推測される。
まるでお腹の中に命が生まれ、日に日に成長していくように、僕たち家族は次に迎えるであろう大いなる変化・成長・結実に向けて淡々と毎日をニコニコと過ごしたのだった。なので、「兆」(きざし)。


年末の仙台で見るページェントは、僕にとって今年1年を振り替えさせるには絶好の光だったようだ。