Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

選挙に向かう僕のポリシー

当たり障りない範囲で、選挙のことをさらっと語っておこう。
今回の選挙には色々と争点があるけれど、僕が関心を寄せるのは「原発」「被災地復興」「憲法改正」といった点。特に、先日白石市で行われた櫻井よしこさんの講演会に参加した経験から、少しだけ憲法改正に絡んだことを語ってみる。(震え声)


ところで、僕が櫻井よしこさんの講演会に参加したのは、共催している地元の経営者団体に僕が属していて席が確保されていたことと、こうした人の話を直接聴く機会も貴重だろうと思ったから。決して彼女自身や彼女が支持する政党を支持しているわけではないし、逆に真っ向反対しているわけでもない。櫻井よしこさんは自分の意見・態度をハッキリと示しているから、そうした方の講演会に出るとなると確かに支持しているように見えてしまうかも知れない。でも、経営者団体だって政治的にはニュートラルだし、5年前にも彼女を呼んだこともあって講演者として呼びやすかったのだろうし、半年以上前から日程が決まっていたのでたまたま選挙前になっただけだし、主催者側としては特には政治的な理由は無い、と思う。


まず、講演を聴いてみて、ああこの人は確かに切れるし、勉強もしているし、常々深く考えているんだなあと感じた。そうでないと、原稿なしであそこまで理路整然に、短い時間を十二分に活用して必要なことを順序立てて、更にここ白石市で集まった僕らが分かりやすい言葉を使って説明することはできないと思う。そういう点では正直あっぱれだなあと思った。


しかし、僕は同時にこの講演会で、少しばかり恐怖を感じてしまった。


講演の中で、櫻井よしこさんはハッキリと自民党支持を明言し、憲法改正国防軍の必要性を訴え、中国に対する東アジア防衛のための先頭に立つべきだと語った。そのとき、会場からは「そうだそうだ」という掛け声があがり、まるで拍手しないことが不自然であると言わんばかりの大きな拍手が起こったのだった。


僕は、櫻井よしこさんの考え自体に対しては反論するつもりは無い。人それぞれ、色々な意見を持っているし、僕としては櫻井よしこさんがどうしてそういった意見を持つに至ったのか、あるいはその先をどう見ているのかをもっと深く聴きたかった。例えばどう憲法を改正すべきなのか、自衛隊のまま交戦権を持つことはできないのか、改正した場合の各国の反応はどう推測しているのか、などなど。で、そういった意見を聞いて僕も自分の考えを深めるわけだし、聞いた上でなるほどと思う点もあるだろうし、逆にああここは僕は反対の考えだなあと思う点もあるだろう。講演会は後援会では無いわけだから、別に講演者と同じ意見で無いといけないというルールは無いはずなのだ。


ただ、僕はこの「反対意見が言えなくなる雰囲気」にとても不安な気持ちになり、同時に恐怖を感じた。人それぞれ違っていいはずの多様な意見が封殺されてしまうことが怖かった。(但し、僕が敏感というか臆病なだけで、参加された多くの人にとっては決して「封殺された」という雰囲気では無かったとは思う)


これが、例えば反自民の風が吹いていて、反自民を公言する著名人の講演会で同じような雰囲気になっても、僕はきっと同じ恐怖を感じたのではないかと思う。要するに、櫻井よしこさんの講演内容如何ではなくて、そこにいる全員が同じ方向を向かなければいけないという雰囲気に恐怖を感じてしまったのだった。


多分日本人の特性なのだろうけれど、異端者を許さないという傾向が根強く残っている。どんな組織でも同じだ。そのメリットもあるのだろう。そういった傾向を持つ人々が今の日本をつくってきたのは紛れも無い事実なのだ。
ただ、今の僕にはそれが怖い。一気に全員が同じ方向を向き、えっと僕は違うんですけど、という意見が言いづらくなることが怖い。地球は回っていると言えなくなる世の中、こんな戦争は間違っていると言えなくなる世の中、憲法改正に反対するような意見が言えなくなる世の中、原発ゼロに反対するような意見が言えなくなる世の中、それもまた、異常な世界だとは思うのだ。
反論はあっていい。それぞれ考えがあるならそれを自由に発言できる世の中であって欲しい。そうした反論があるからこそ、意見は更に洗練されて進歩していく。人間の進歩は、そうやって生み出されてきたのでは無かったのか。


僕は僕の意見を持つ。考えて、僕の意志で選挙権を行使する。それは、誰かに、雰囲気に、流れに、風に、惑わされるものでは決して無いのだ。