Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

More Than Words.

言葉って不思議なもので、特に心という曖昧なものを言葉にすると、逆に言葉の意味から自分の心の状態を客観的に理解できる場合がある。跳ね返ってくる感じだね。
例えば、誰かに好きだと告白すると、逆に、あ、自分は相手のことを好きなんだって分かるような。夏休みのことを友達に「どうだった?」って訊かれて「楽しかったよ」と答えてみると、あ、そういえば楽しかったんだなって気づくような。


心が定まっていなくて、どちらかと言うと弱いとき、言葉を上手に使うと自分を引き上げることができる。
僕はこの仕事が好きです!と言葉に出して言ってみる。すると、あ、僕はこの仕事が好きなんだという状態に自分をひとまず引き上げることができる。明日はきっと頑張ろう!と言葉に出して言ってみる。すると、少なくとも現時点では、明日あれをやろうこうしようと誓うことができる。


ところが、心がいっぱいになっていて、伝えたいことが溢れているとき、言葉は何の役にも立たない。むしろ邪魔なことすらある。とりあえず言葉にしてみたところで、そんな言葉では表現しきれなくて、もどかしくて苦しくなる。陳腐な表現にしかならず、相手に誤解されて、それを補いたくても言葉が出ない。


そして、本当に嬉しいとき、本当に悲しいとき、僕らの気持ちは言葉にならない。僕らの体は、言葉を発することを拒絶するのだ。


今こそ、僕は本当に心を伝えたい。ありったけの語彙を尽くして、本当の気持ちを伝えたい。ときどき、言葉にはならないこともあるだろう。自分の語彙力の無さに呆れ、伝わらないことに憤ることもあるだろう。それでも僕は、勇気を出して言葉を紡ぎたいと思う。


そうでなければ、誰かと分かり合うなんてできやしない。
誰かと分かり合おうと努めなければ、僕らはずっと一人ぼっちなままだ。