Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

フォトアーカイブでノックダウン

http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/311photo/


相変わらずの泣き虫で、仙台市がまとめた東日本大震災の写真を全て見ることすらできなかった。震災後に相次いで出版された報道写真集も、僕は未だに見ることができていない。震災後数ヶ月は、毎日の新聞記事ですら涙腺をこらえて読んでいた。
風化と表裏一体だとは思うけれど、新聞記事やテレビでの報道が、生々しい津波の被害やその中で懸命に生きる人々を捉えることが少なくなってきたことで、僕はある種の安心感を得てしまう。新聞を読んだりテレビを観たりするときに、涙腺をこらえて、右脳を停止させて、心を閉ざして、構える必要がないことに安心してしまう。


そんなとき、ひょっこりと震災時の写真や人々の涙などを見てしまうと、構えていない分ダイレクトに胸に刺さってしまい、僕はノックダウンされてしまうのだった。


僕のウィークポイントは、津波原発の被害を受けながらも、健気に一日一日を積み重ねる人々の姿だ。がれきでめちゃくちゃになった自宅を、1つずつ、一歩ずつ黙々と片付ける人々。がれきで埋め尽くされた海岸で、少しずつ被害者を捜索する人々。家族を失いながらも、じっと避難所で毎日を過ごす人々。スーパーの前で寒さに耐えて行列をつくり、静かに開店を待つ人々。狭い体育館で授業を受ける子どもたち。
ああダメだ。また涙が出てしまう。


いつか、じっくりと写真や記事を見なくてはいけない日が来ると思う。本当はじっくりと見て、感情を大きく揺らして涙を流し、それを乗り越えなければ本当に震災を理解したと言えないのだろうし、そこから見えてくるものもきっとあるのだろう。


強くなろう。強くならなくては。