Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

今年のブログのタイトルは必ずカタカナか英語で終わってたんですが結構大変だったのでノーセンキュー

今年ももう残すところ数時間。改めて震災について語ってみる。


震災のすぐあと、日本はひとつになったと感じた。全く勘違いだったのだけど、当時はそう思った。全国から、被災者や自衛隊などに熱いエールが送られた。福島第一原発に向かった東京消防庁の会見に、心から共感した。


でも、徐々にバラバラになった。特に考え方の違いがよりソリッドになった。震災をきっかけに、それまで曖昧で良かったものが、それでは済まなくなった結果だ。
例えば、人類が絶滅してもなお放射線を発し続ける物質を無くすべきだいう考えと、でも動かさなければその前に経済が破綻し日本が滅びるという考え。隣の大国とは絶対に分かり合えないから戦力を持つべきだという考えと、いつか絶対に分かり合えるし人類の理想として憲法を守るべきだという考え。
それぞれみんな、自分の考え方というものがあるわけで、でもこれまではそれを改めて表明しなくても良かった。しかし、現実に食べるものに放射性物質が含まれている可能性がゼロでは無かったり、自分の選挙区から改憲を表明する人間が選出されたりすると、やっぱり自分の考えを表明せざるを得なくなってくる。


そんなことをきっかけに、様々な分野に対して自分の考えを自覚したり、考え方が曖昧な点が見つかったりした。もう逃げることはできない、覚悟を決めて進まざるを得ない、その必要性をつきつけられた。


震災から1年経ったこの2012年は、そんな年だったような気がする。
来年はもっとこの傾向は強くなる。自分の考えをはっきりさせ、覚悟をもって決断し、進めなければならない。それは為政者だけではなくて、いち庶民にも平等に降ってくる試練だと思う。


明日は元旦。大いなる試練の年ということを自覚し、心を清らかにして初日の出を迎えたいと思う。


なんちゃって。適当にガンバロー(・ω・)ノ