Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

単なる日常

ここ最近は夫婦ともに忙しかったため、1/23の僕の誕生日にはパーティは行えず、先行して1/20の日曜にファミリーパーティを済ませたのだった。従って1/23は普通の日。妻が仕事で夜不在な、何の変哲もない日常の1日。
この日は日中の仕事のあと、息子と娘とともに実家にお世話になって夕飯を食べ、少し遅くなってしまったけれど自宅へ戻って入浴を済ませ、3人で寝室へ行き眠った。3人でゲラゲラ笑ったこともあったし、言ってもなかなか動いてくれない息子や娘に声を大きくしたこともあった。寒い夜だったから湯たんぽを入れて布団を首まで引っ張りあげ、隣のベッドに眠る息子と少しだけ会話をし、なかなか寝付いてくれない娘の話を聴き続け、二人とも寝入ったと思ったら程なく僕も眠っていた。


ところで、最近忙しかったため学校から帰ってきた息子が暇だろうと借りたDVDの中に「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」があった。名作として名高いこの作品だが、泣けるシーンとして有名なのはしんちゃんの父親ヒロシの回想シーンである。


これは、懐かしい昔の匂いによって少年の気持ちに戻ってしまったしんちゃんの父ヒロシが、しんちゃんの機転で自分の足の臭いを嗅ぎ、少年から大人になるまでの日々を思い出して自分を取り戻していくというシーンである。少年期、父親の自転車の後ろに乗り釣りへ行く夏。アイスを片手に一人で自転車に乗れるようになり、中学になって女の子と一緒に自転車を押す秋。そして一人で押す冬。電車に乗って上野に降り立ち、会社で挨拶、先輩と外回り、上司に叱られ先輩と飲むヒロシ。妻みさえと出会う春。病院へ駆けつけ、生まれたばかりの息子のほっぺを撫でる。マイホームに引っ越し、電車で居眠りをし、残業を繰り返し、灼熱の外を歩きまわって自宅へ戻るヒロシ。出迎える妻と子どもたち。一緒に風呂に入り、冷たいビールを飲む。そんなシーンだ。
普通のサラリーマンであるヒロシが、普通の暮らしを懸命に生きた単なる日常なのだ。それが泣ける。


そうなんだと思う。幸せってきっと、ある特別な一日や出来事じゃなくて、何の変哲もない日常なんだと思う。その日常を続けることがどれだけ大変なことか。未来を見据えて、毎日少しだけ笑ったりささやかな幸せを味わったり、喧嘩したり泣いたりしながら、その日その日を大事に紡いでいくことが、きっと価値のある幸せなのだと思う。いつかそれが何かの結晶に結びつくかも知れない。名誉ある業績、価値ある発見、人を感動させる活躍、そんなことにも繋がるかも知れない。でもきっと、それらに繋がる1日1日こそが、本当に大切なことなんだなって思う。


急に商売っけ出るけれど、僕らが毎朝配達している新聞は、きっとそんな1日1日のささやかな出来事を紡いでいく媒体なんじゃないだろうか。


35歳の誕生日を、そんな普通の、そして幸せな日常として過ごす。これ以上幸せなことって無いのかも知れない。