Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

イクメン頑張れ!

先々週だったか、嫁さんが2泊3日で出掛けたことがあり、当然僕と2人の子どもたちの3人で2晩過ごしたわけだ。
どうにも夕飯だけは要領良くつくれる自信がないので、そこだけは惣菜を買ってきたり弁当にしちゃったり実家の母親にお願いしてしまったりするのだけれど、それ以外についてはほぼいつも通りに過ごせる。朝食、娘の弁当、洗濯、風呂、その他細かいことが色々あるけれど、まあ大変だけど過ごせないことはない。早朝の仕事だけは、寝ている子どもたちを置いていくわけにもいかないので休めるよう調整することにはなるけれど。
もちろん、逆の立場でも同じ。僕が何泊か出張したからといって、子どもたちが至って普通に過ごせる環境を保持することができる。当然夫婦二人よりは一人の方が負担が大きいわけで、いつもより寝る時間が遅くなったり朝早めに準備を始めるとかあるけれど。


これは常に夫婦で家事育児をシェアしているからできることであって、季節の変化や子どもたちの成長などに対応しながら日々を過ごしている成果である。いつもどちらかに任せっきりだと当然偏りが出る。家事育児を大きく担っている方が外へ出てしまうと、家庭が一気に非日常の世界になってしまうのだ。
なので、ほぼ毎日のようにこうした作業を夫婦でこなすことがとても大切なのだ。


もちろん、我が家ももう少し経てば状況は変わってくる。子どもたちが成長して手がかからないようになってくると、親が負担すべき物事も減るわけで、夫婦でシェアすべきことも減ってくるだろう。そうすると、常には関わっていなくてもそう問題では無いかも知れない。片親が不在時の非日常性が減るわけだ。


だけど、少なくとも子どものうち一人以上が未就学であれば、どうしても日々関わっていないと分からなくなってしまうことが多い。最近僕も少し娘のことに関われなくなってしまっていて、若干嫁さんの負担が大きくなってきている。反省点である。


しかし、仕事の上では、どうしてもこういう状況を理解してくれる社会とは言いがたい。例えば夜の付き合いを断る理由に「子どもをお風呂に入れるから」と言うと、「嫁さんいないの?」となる。一般的には、自宅に嫁さんがいれば父親が風呂に入れる必要は無いということなのだ。まあたまにであればそれも問題無いだろう。ところがそれが続いてしまうと、風呂の要領というのが知らない間に変わってしまって、嫁さんが不在時にいつもと違うこととなりトラブルの元になるのだった。シャンプーの使い方、体の洗い方、お湯の温度、etc…。これは子どもの成長や季節によって日々少しずつ変わっていくことで、あまり期間を空けずに関わっていないと遅れてしまうことになってしまう。


今まではずっと男社会だったわけで、妻というものは自宅にいて家事と育児を一手に担う存在だという観念が浸透してしまったのだから仕方がないとは思っている。それでも少しずつ変わってはきていて、十分理解してくれる人も着実に増えている。
ただそうでもない方も多いわけで、それが悪いということではなく、これから育児も担おうという父親にとっては未だに気を使う社会であることは間違いがないということだ。


ということで、「イクメン頑張れ!」この一言に尽きるのである。