Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

友あり遠方より来たる、また楽しからずや

昨日は、取引先の担当者の方などを交えてお食事会、という名の飲み会。
場所は、白石市内の和食どころ「えびす」(http://r.tabelog.com/miyagi/A0402/A040203/4002458/
以前書いたように、もっぱらビールを飲んだ。店の名前どおりのヱビスビール、美味しかったですよー。

飲み会で、高校や大学に関する話題があった。まあ飲みながらなんで、話の論点もグダグダな感じだったけれど、出身校の知名度や同じ進路を辿った卒業生の多さなどが、その後の人生にどのような影響を与えたか、ということだった。
例えば僕の出身校である白石高校は、父親の母校であり、また取引先にも何名か卒業生がおり、取引先を交えた昨日のような飲み会で話題になることがある。同じような話題ばかりで飽きてしまったり、話が途切れてしまったりがありがちな飲み会において、母校の話で数十分楽しめるというのはとてもメリットがある。母校に感謝する瞬間だ。

仙台二高の話を聞いた。仙台二高は、いわずと知れた宮城が誇る進学校で、東北大学に毎年100人を越す卒業生が入るという名門校だ。そして東北大学宮城県美術館に隣接するという、東北大学に通学するには絶好のロケーションでもある。しかし、二高→東北大という順調ルートを取った人にとっては、通学路も周りの友人も高校生活と大学生活で変化が乏しく、記憶が混じってしまうことがあるらしい。
なるほどな、と思った。僕の場合は高校を卒業して大学に入るという節目に、生活の場所や友人関係の一切がまるっきり切り替わった。それはそれで寂しくもあったけれど、新しい人や新しい景色に出会うことで大きく成長したとは思う。

また、就職先に大学の先輩や同期が多いケースも聞いた。入社やその後のキャリアに関してメリットもあるだろうけれど、学閥のようなものができてしまう場合もあるし、一概には良いとはいえないんだな、と感じた。
僕が就職したときは、同じ出身大学の人はそれほどいなかったし、何と言うか良い意味で学校なんて関係ないじゃん、という社風だったと思う。実際、一緒に仕事していてデキル人というのは必ずしも有名な大学を卒業しているわけではなかったし、逆にえええええーという人が有名大学卒業だったりして、あー、大学って何の意味もないんだな、と心底思った。

ただし、大学で出会った素晴らしい先輩や友人とはいまだに連絡を取っていて、それぞれの現在を聞いたり読んだりするたびに嬉しい気持ちになる。先日高校時代の友人と出会って、新しい目標ができたのも新鮮な感覚だ。中学時代の友人とは今、同じ目標に向かって行動し、悩みや喜びを共有している。
多分、学校のネームバリューとかその後の進路とか、行われる教育の特殊性とか場所の辺ぴさなんかは、本当にささやかなことなんだ。本当に大切なものは、その時間と場所を共有していた人間なのだ。
そういう意味では、この学校からここへ進学してここへ就職する、なんてどこかの誰かによって敷かれたレールに乗ることって、実は大切なものを見過ごしているように思える。自分の意思で進む方向を決め、レールや常識に縛られず、新しい出会いを見つけることの方がよっぽど素晴らしいことだ。
そしていつか、自分が笑い悩み苦しんだ学生時代に側にいてくれた友人と、どこかで再会する日がくる。そして学生時代の話を肴に飲む酒の美味しさったらない。もしかすると、人生の楽しみってそこにあるのかも知れない。孔子の時代から、変わっていないもの。

そんなわけで、Facebookで懐かしい友人と繋がれるのを、今か今かと待ちわびている。