Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

世界を変える閃き

昨日書いた飲み会にて、次のようなことも言われた。「数学を専攻する人って変人だよね」うん。当たってるー。見てるかい?MくんKくんTくんSくん、君たちのことだー。

その方の考えによれば、数学と音楽には近いものがあるのではないか、ということだ。数学を志す人の多くは、数式や証明の美しさに惹かれるという。音楽も、一つ一つは何でも無いただの音だが、つなげ方によって奇跡のような美しいメロディや和音となる。そのような美しさに対する感性が、数学を志す人と音楽を志す人に共通するのではないかと。

うーん。一般論としては当たってるようにも感じる。少なくとも、文系理系関係なく右脳的な学問と左脳的学問ってのはあって、数学というのは右脳的学問には違いないはずだからだ。昔よく「数学できる人は頭がいい」なんて言われていたけれど、数学ができて常識的なことをちっとも憶えられない人を良く知っている。(僕です)

しかし、一応数学を志す人たちと音楽を志す人たちに6年間囲まれた経験からすると、少なくとも僕にとってはそこは共通していないと思う。確かに数学の証明や数式に美しさを感じることはあるけれど、音楽に美しさを感じるときとは動いている心の部分が違ってる気がする。

僕は、「世界を変える閃き」を強く求めているのだ。

教室で誰も解けない問題があった。僕だけが、解き方を知っていた。そしてその僕の解き方が、先生が持っている先生用の教科書には載っていない、誰しも思いも付かない方法だった。その時の快感。一瞬で問題の見方を、大きく言えば世界を変えてしまうような、そんな閃き。それに酔った。

膠着する試合展開。1点を取った方が勝つ、そんな試合。全ての状況を打開する1本のパス。誰も思い付かない、世界を変えてしまう閃き。それに酔った。

溢れる音楽。ファッションに乗る音楽と、伝統を守り古びていく音楽。その中に、全てを変えてしまうような1曲をつくる。世界を変えてしまう閃き。それに酔った。

数学、サッカー、音楽、全てに共通する夢は、『いつか自分が「世界を変える閃き」に出会いたい』なのだ。そのためには、常に地道な作業を続けなければいけないことも知っている。そのような閃きは、揺れ動くような土台ではなく、固く踏み固められた地盤にしか生まれ出でることは無いのだ。

そんなわけで、今僕は新聞屋という職業とこの白石という地で固く固く地盤を踏みしめている。いつか世界を変えるような閃きに出会えることを願って。