Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

僕らが闘っている相手は

昨日は日曜日。将棋に飽きた息子を実家の父に預けて、小十郎の郷へ行ってきた。
看板を作成するキューリ歩人。勝手に載せてゴメンね。

地元の食材が沢山あり、連れて行った僕の母も喜んで購入。読みどおり、母が購入したものの3割程度はわが家にやってきた。胃の中一緒の会。今はまだ土日のみの営業だけれど、4月からは毎日営業を予定しているとのこと。これからのステップアップに注目だ。

ところで、「地元」って何だろう。
地産地消と言うけれど、果たしてそこで言う「地」とはどこまでの範囲なのか。市町村という人がいるかも知れないし、生活圏に含まれる複数の市町村が含まれる人もいるかも知れない。もっと狭く、ある集落内を考える人もいるかも知れないし、逆に県や地方、あるいは国全体を地元と考える人もいるかも知れない。

多分これは、「公」の範囲と似通っていて、おそらくは何を敵と見なすかによってその範囲が変わってくるのだ。

例えば夏の全国高校野球選手権。多くの人は、はじめ県予選に臨む母校を応援するはずだ。ところが母校が敗退すると、本大会ではその母校を敗退させて勝ち上がった県代表校を応援するのだ。県代表が敗退すると、場合によっては同地方の他県代表校を応援する。本大会が終了して優勝校が国際大会に出場することになれば、自分の住む県代表を破ったであろう優勝校を日本代表として応援することになる。日本が負けても、米国に韓国が立ち向かうときにはアジア勢として韓国を応援するかも知れない。地元意識が、闘う相手によって高校学区内(市町村)→県→地方→国→アジアと広がったためだ。ところが、地球、までは広がらない。地球代表が闘う相手はいないからだ。もし隣の恒星系に人類がいたとしたら、太陽系代表として闘うどこかの国のチームを僕は応援するだろう。

近年、日本の人口は減少に向かっている。国内需要が減少するのだ。地方ほど顕著であり、宮城県は仙台を覗いてほぼ全ての地域で需要が減る。当然我が白石市も人口減、少子高齢化、高失業率などは全ての業種全ての地域で大問題になっているのだ。
じゃあ隣は大丈夫かと言えばそんなことはない。蔵王町だって七ヶ宿町だって大河原町だって丸森町だって。福島県だって山形県だって岩手県だって。北陸だって山陰だって悩んでいるのだ。みんな必死だ。

そんな時に、一人勝ちを狙ってどんな意味があるんだろう。
この地域だけの潤いを狙うということは、周りの地域に分散するはずだった潤いを奪うことになることが多いんじゃないのかな?この地域だけが地元だと考えるのは、ちょっと視野が狭いのではないか、そう感じてしまう。食べ物に代表される文化については、この限りではないけれど。

日本全体が危機的状況にある今、僕は少なくともアジアのライバルと闘いたいと思う。韓国や中国、台湾、インド、ベトナム、これらの国に、心の豊かさにおいて負けたくない。そのために、やるべきことをやる。

だから、白石だろうが県内だろうが県外だろうが、精一杯考えて工夫して努力してつくられたものを正当に評価したい。逆もそうだ。僕も、近くに住んでいるから、という理由で評価されたくない。日本という共同体の中で、より良いものを創りだしているか、で評価されたいと思う。

前の会社で一度だけ、仕事で海外へ行ったことがある。辞める直前の、最後の大仕事だった。世界は広い。優秀な人は沢山いる。でも、届かないわけじゃなかった。僕だって充分闘える。僕ですら闘えるのだから、他のみんなだって充分に闘えるはずだ。小さい視野の範囲で一喜一憂していないで、世界を目指して頑張って欲しい。僕も一緒に世界を目指したい。
そんな経験ができて本当に良かった。
僕らが本当に闘うべき相手は、見えている範囲のもう少し先にいるのだ。

そんなわけで、僕は見えない敵に追いつこうと遮二無二やっている。それは、実は、未来の自分かも知れない。