Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

命の選択

僕が生きているのは、ただ「運が良かったから」だけなのだろうか。


九死に一生を得た方の話を訊くにつれ、生死の境は本当に紙一重なのだとつくづく感じる。あの時もう少し気づくのが遅かったら、もう少し海側にいたのなら。そして、家族や友人を失った人にとっては、その紙一重は一生悔やむであろう僅かな差なのだ。あの時もう少し気づくのが早かったら、もう少し高台側にいたのなら。


父が言った。我々は生かされたのではないか。
その考えを受け入れることに、躊躇する自分がいる。生かされたことを認めるということは、亡くなった方々の命を背負うということだ。亡くなった方々の無念を、自分の命を燃やすことで果たそうとすることなのだ。
僕にそれができるのか?命を背負う資格はあるのか?


違う。そうじゃない。できるとか、資格とか、そういったものではないのだ。考えるのではない、感じるのだ。
そろそろ、動く時が来たんじゃないのか?