Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

ウサギと桜とボンゴ

妻と子どもたちを乗せ、遥か300km先の被災地へと向かう。開通した高速道路をひたすら走ると、間もなく息子が退屈し出した。変化の乏しい景色に、あっという間に飽きたのだ。そこで、僕も前夜家族の再会に眠れなかったこともあって、計画的に休憩を取ることにした。


昼どき、その日二回目の休憩を、栃木県佐野のサービスエリアで取った。義母がオニギリと少しのオカズを持たせてくれたので、みんなでモグモグする。
満腹になって眠気に襲われないよう、昼食を少量だけにした僕は、折角だからお土産でも買おうと、車内に飽きつつあった娘を抱いて売店へ向かった。


結構混み合っている店内に、焼きたてのパンを見つけた。息子の大好物であるクリームパンとメロンパンもある。ささやかなお土産とともに、パンを二つ買って車に戻った。息子は嬉しそうにクリームパンを食べた。娘は終始緊張したような、不思議そうな表情だった。


ふと、駐車場の一角に、小さな桜の木を見つけた。妻が売店に行っている間、息子と娘の三人で桜の木へ向かった。
まだ三分咲きの桜は、青い空の下で、おびただしい車の中に懸命に自らを主張していた。桜の木の奥に、斜面を利用した檻があり、たくさんのウサギが暮らしていた。どうもこの一角は、高速道路に疲れた子どもたちの癒しの空間としてつくられたようだった。ベンチでは、壮年の男性がボンゴを前にして座っていた。いつもそこに座っているのか、のんびりと僕ら家族を見ていた。


息子は、桜の木の前でポーズをとり、ウサギのニオイに臭い臭いと騒ぎ、おじさんに話しかけてボンゴを叩いていた。娘は僕に抱っこされながら、桜とウサギとボンゴを不思議そうに見ていた。


車に戻ろうとする妻に、おいでと声をかける。息子は張り切って、妻にウサギと桜とボンゴを説明する。娘は妻に抱かれたがったので、娘を妻に預け、僕は息子の手を握った。家族みんなで桜を見て、ウサギを見て、ボンゴのおじさんに会釈した。風が幾分冷たかったけれど、気持ちの良い青空だった。

その日の朝、出発しても不安な気持ちは隠しきれなかった。これから帰ろうとする町は、ライフラインは復旧したとはいえまだまだ余震が続く被災地だった。そこへ妻と子どもたちを連れて帰ることが、果たして正しいことなのかどうか分からなかった。ましてや、途中通過する福島での原発事故はいまだ収束への兆しが感じられなかったし、仕事だってこれから苦労することは目に見えていた。


それでも、家族でこうしてウサギと桜とボンゴを見て、これで良いんだと思った。同じ時と場所を共有すること。かけがえのない今を、共に過ごすこと。
それが家族だから。