Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

Public - Private - Balance

昨日5日、渋滞を回避して裏道を走り続け、夜8時ごろ自宅に到着。疲れ果てて相変わらずの寝落ちである。旅行中、何度ブログを書こうとしたことか。そう思って子どもたちと一度寝床に着いたが最後、もう朝である。重いPCを忍ばせた意味が全くナシ。体力増進を再来年あたりの目標に定めよう。


今日は、長いです。


旅行の前に、僕はこんな風に書いた。

(中略)震災以来の非常事態ムードから抜け出るタイミングが必要だとは感じていた。

震災から少しずつ着実に日常を取り戻していて、良いか悪いか分からないけれど年度の切れ目が重なってしまい、どこからが正常になったのかが良く分からないまま過ごしてしまっている。この旅行は、完全な非日常へもう一度ぐっと変化させることで、この生活の日常性を取り戻すチャレンジなのだ。

非日常だったはずの震災がそのまま日常に繋がってしまい区切りが不明確になっており、その感覚が子どもにもあるから、もう一度日常と非日常を明確にしようということだ。


旅行を通じて、それは全くの見当違いであることに気づいた。というのも、少なくとも我が家の6歳の息子と1歳の娘に関しては、毎日が常に非日常であり、なんというかそれが日常なのである。
つまり、十数年におよぶ学生生活やサラリーマン生活を経験した我々は、毎日がおおよそ決められたスケジュールに沿って事が運び(7時に起きて8時に出発し18時に帰宅して22時に寝るとか)、1週間という単位で休みが来て、1ヶ月という単位で徐々に季節が変わり、1年という単位で学年やクラスや教室が変わるといったパターンを体の隅々まで染み込ませているのだ。なので、つい、時とか日とか週とか月によって縛られた生活を送るこの場所が日常であって、旅行のように遠出して少し違う生活をすることが非日常だと思ってしまうのだ。


ところが、息子は全く違った。小岩井農場だろうが毛越寺だろうが関係ない。アイスクリームは食べたいけれど、興味が湧かなければ名産だろうが名物だろうが食べないし、寺があろうが庭があろうが今興味が向いた「キラキラ光る透明な石」(息子曰く『ダイヤモンド』)を集めることが最も大切なのである。幼稚園に行っていても、日曜日に家族といても、岩手にいようがアメリカにいようがほとんど関係なく、今興味のある目の前のものをやるだけなのだ。1歳の娘においてはなおさらである。
つまり、今のところ息子と娘には日常という概念そのものが無く、従って非日常性というものも全く存在しないのだ。



毛越寺にて石を探し続ける息子とそれが気になる娘


結局、僕が懸念したような日常と非日常の混合に関する問題は、少なくとも息子にとって本質的な問題ではない。では、息子に内在する問題とは何だろう。旅行前に感じていた、息子の心の不安定さや不満と心細さを震災による影響であると認めたとしたら、それはどういったプロセスによって創りだされ、そして改善へ向かうことができるのだろう。


しばし考えて、思いついたことがある。一つは、息子が、幼稚園へ持っていく弁当をほとんど残さないことだ。前の晩食べたがらなかったオカズを弁当に持たせても、ほとんどの場合完食して帰ってくる。それから、前の日遅刻を注意されたにも関わらず少し遅刻してしまったとき、幼稚園に行くことをためらったことがある。先生からの指示に従えなかった自分を恥じているのだ。
これは、彼にとって幼稚園は「公」であることを示していると思う。パブリックだ。ルールを守り、周囲と協調する、自分の心と行動を制御する場所なのである。一方、自宅や祖父母宅はプライベートな空間だ。「私」である。自分の本音を言い、欲求を親にぶつけ、甘えることが許される場所なのだ。


長くなったけれど、息子にとって今回の旅行はあくまで「私」的なプライベートな時間だったが、決して非日常ではなかったのだ。


改めて振り返ってみると、旅行前の生活に「公」と「私」の混合が確かに見受けられる。もともと休日の無い仕事なので、公私は往々にして混合する。それはこの白石に戻ってくる前にある程度理解していたから、なるべく別々に考えるように暮らしてきたつもりだ。
ところがこの震災が公と私の間を狭めてしまった。というのも、「私」が一時「公」を大きく乗り越える瞬間があったからである。自分の命や家族の命、仲間の命を救うため、「公」を大きく超えるには「私」のチカラが欠かせない。だからこそ九死に一生を得る人も存在し、感動的なエピソードが生まれるのだ。今もなお、「私」が「公」を超えたまま必死で頑張っている人もいる。でも本来、「公」というのは平等である代わりに、とても穏やかで当たり障りの無いものなのだ。だからこそ、「私」は人間らしい自由さを持つとても魅力的なものになり得るのである。


不謹慎かも知れないけれど、実は被災した多くの子どもたちにとって、この地震はある面で楽しかったのではないかとも思う。台風で学校が休校になってしまったような、そんな感覚はあったのではないか。
そして多くの子どもたちにとってストレスなのは、「私」であるはずの家族との空間を失ってしまい(例えば避難所などでの生活になり)「公」的な態度を要求されてしまうことと、長い間「私」の生活が続いた後に「公」が再開することなのではないか。


そう考えると、僕は息子に十分に「私」の時間をつくってあげていなかった。自分の心を開放し、リラックスできる空間を与えてあげられなかった。それは、僕自身が開放していないからだ。何もかも全て息子の要求通りにするわけではない。僕は僕の考えがあって、息子は息子の考えがあって、双方納得行くまでぶつかって答えを出す。その繰り返しが信頼感やキズナに繋がっていくのであって、家族というのはそういうものだ。そして親としてまずやるべきなのは、息子の考えをじっくりと聴くことである。傾聴することだ。聴くことで息子も僕の言葉を聴くようになる。僕の言葉が息子に届かなかったのは、僕が聴いていなかったからだ。


この旅で、多少衝突はあったものの概ね息子とはじっくり話し合うことができた。仕事と家事から離れることで、息子に十分に時間を掛けて構ってあげることができたからだ。娘に対しても全く同様である。現に、今日は朝から子どもたちは機嫌が良く、色々なことがスムーズに進んだ。
そういった意味で、今回の旅はとっても意義深かった。また、しばらくしたら旅に出る必要がある。それは非日常性を求めるのではなくて、息子と娘の「私」の空間を十分に確保するためである。仕事と家事を離れ、いつもとは違う場所でじっくりと息子の話を聴き、娘の要求に耳を傾けるのだ。