Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

車に乗るか自転車に乗るか

今になって、よく地震のときの自分の行動を振り返る。
我ながら好判断だったと思えるものもあれば、どうしてそんな行動を取ったのか不思議なものもある。そして、どう行動するのがベストだったのかをしげしげと考えてしまうのだ。


大まかに言って、なかなか良い判断と行動だったと思う。偶然にも震災前から「さとなお」さんのブログをGoogleリーダーで購読しており、阪神大震災から17年経ったという記事をきっかけにして震災時の記事までさかのぼって読んでいた。
水の確保、割れたガラスなどからの足の保護、車が通れない道、停電、ガス漏れと火事。そんな情報を仕入れていたお陰で、今何をすべきかの思考の基盤ができていたように思う。「ガスの臭いはしないから、ガスはひとまず大丈夫だ」そんな感じ。


自分の行動が正しかったのかそうでないのか未だに分からない点の一つは、娘を迎えに行く際の移動手段である。


その日、娘は市内の高台にある託児所に預けていた。職場からはおよそ2km強、自宅からは数百m。ただ国道から託児所まではかなりの急勾配かつ狭い道を登る必要があって、積雪や路面凍結時は結構怖い思いをした。
地震直後、事務所の目の前の道路が陥没したのを目の当たりにし、市内のいたるところで通行が難しい道がある可能性を考えた。自分の車がその陥没にはまる危険性もあるが、それによって致命的な渋滞にはまってしまう可能性の方が高いと判断した。地震の時は車は厳禁、という言葉も聞いたことがあるような気がした。そこで、僕は自転車を選択して娘を迎えに行ったのである。
ところが、実際託児所までの道はスムーズに車が流れており、陥没も渋滞も無かった。さらに託児所までの上り坂は体力を著しく奪い、娘を拾った後は雪が振ってきてしまい、背中におんぶした娘の体を冷やす結果となってしまった。
自宅について背中から娘を降ろした時、自分の体力を異常に失っていたことに気づいた。無我夢中とはいえあの坂を自転車で登れば、どの程度体に負担がかかったか推し量れる。


でも、心構えとしては車を利用しない、との判断は間違っていないような気もする。
はて。僕はどう行動すべきだったのだろう。