Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

僕が災害ボランティアへ行こうと思った理由

明日、以前から密かに計画していた災害ボランティアへ行ってくる。


先ほど、明日の装備を確認してみた。ツナギ+帽子+防塵マスク+防塵ゴーグル+作業用ゴム手袋+首にタオル+名札。あああああああああ暑いいいいい。すでに汗だくだくだくだく。わー。暑いぞー。完全装備は暑ーい!だが、これだけの装備がワークマンで総額4,000円ぐらい。いやあ、良い仕事してますなあ、ワークマン。幾三が行こうと誘うのも頷ける。
灼熱の作業を予想していたのだが、今ヤフー天気を見たら見事曇りじゃないか。おおおー。こんな時に非晴れ男っぷりを発揮するとは。意外な使い道。体力に自信がないので、たとえ予報だけだとしても嬉しい。
弁当は朝おにぎりを3つほど握る予定。水は500mlペットボトルを2本。そのうち1つは冷凍しておく。甘いものも必要だろうから、飴を4つほど。溶けないようにしないと。駅でビスケットでも買おう。塩分補給のため梅系のキャンディーもあったらいいな。


明日は7:36発の東北本線に乗り、岩沼駅で下車。それから25分ほど歩いて岩沼市総合福祉センター内のボランティアセンターまで行く。ここでボランティアとして登録して、保険の確認などの手続きが終われば、あとは待つのみのはず。ほどなく当日の作業の説明とチーム分けが行わるはずだ。おそらくは、浸水した住宅の泥やガレキ、ゴミなどの撤去作業だと思う。午前2時間、午後2時間の勝負だ。うううーん。頑張ろう。
体力に自信がないので、電車利用である。アクセスを考えると岩沼が最寄りかつベター。但し駅からボランティアセンターまでが遠いのがネックかなあ。吉と出るか凶と出るか。ともかく行かないと始まらない。やろう。


ボランティアに行こうと思ったのは、主に2つの理由からだ。


1つは、もうすぐ梅雨と真夏がやってくるから。


作業場所は浸水の危険地域であり、雨のときには作業は中断あるいは中止せざるを得ない。そして雨を吸った汚泥は重さを増し、作業は一際辛いものとなる。梅雨前線が通過すれば、お次は夏だ。灼熱の太陽のもとで、一体どれだけの作業ができるのだろう。ただでさえ腐食が進んでいるのだから、衛生的にも臭い的にも更に過酷な条件となるに違いない。すなわち、これからは日に日に作業効率が下がっていくのだ。ところが、ゴールデンウィークを過ぎて平日のボランティア人数は減りつつある。100年分のガレキの撤去がままならない現状に焦っているのは、他ならぬ被害に遭った方々なのだ。なるべく早めに作業するしかない。
多くの力を結集して、できるだけ早くに作業をしておくべきなのだ。


2つ目は、何故かモヤモヤするからである。


別に悪いわけではないが、僕の周りの老人たちは今の被災地の写真を見て、口をそろえてこう言う。「うわー、まだまだガレキばっかりだ」。うん。人ごとだね。他県からは今だに被災地と見られる地域でもこれだ。これじゃあ心を一つになんてなれやしない。そりゃあ家族を家を仕事を失くした方の気持ちになんてなれるはずがない。でも、ただ指をくわえてテレビや新聞を見て、まるでパニック映画の1シーンでも見るように顔をひきつらせて写真を見て、見終わるといつもの日常に戻っていく姿に、どうしても違和感を感じてしまうのだ。別に悪いわけじゃないし、仕方がないのだけれど、どうしても納得がいかない。
そして、復興というキーワードで集まったり盛り上がったりするのは良いのだけれど、どうしても机上の空論に見えて仕方がない。僕もそうだったけれど、頭の中で色々考えて、何か良いアイディアが思いつけば、それで確実に復興に近づくことができるんだと思い込んでいた。"意識の高い"人たちが集まって議論して交流していけば、いつかきっと何らかの化学反応が起きて良いアイディアが創出されて、復興の象徴ともなるべき活動になる、そんな筋書きを信じていたのだ。


残念ながら、それは無理だと思う。
多分、今回の震災の復興とは、一発逆転ホームランでは決してなくて、一歩一歩、それこそ百里の道を進むがごとく地道な作業の繰り返ししかないと思う。何故か。それは、「震災前から既に危機的状況だった」ということだ。この東北という土地と2011年という時代は、そもそも明るい未来を見通すことのできない状況だったのだ。阪神淡路大震災のときとは、そこが全く違うのだ。
悲観的な言い方をすれば、「震災前にだってこの危機的状況を脱することができなかった(その方策を編み出せなかった)のに、震災後にどうしてそれができるのか」ということだ。復興景気?そんなもん原発で吹っ飛んだ。国がいくら補助金を出そうが、東電が自社ではまかないきれないほどの賠償金を支払おうが、結局は国民の税金であって、国の借金が膨らむだけだ。
価値あるものを他国に提供し、外貨を得るしかない。価値あるもの?それをこの数年の間に新しく生み出そうというのか。楽観的にもほどがある。


ただ救いはある。この未曽有の危機に対して万事を尽くすという、対立あるいは無関係だった人や組織が協同するための大義名分を得たことだ。既成概念にとらわれない活動をする理由を得たのだ。自分の持つ全てを動員して、あらゆる人や組織を融合する。それは結局のところ、関係する人間と話し合い、相手を理解することから始まるのだ。我慢強く言葉を交換し、相手の立場に立って物事を考え、そうしてお互いの信頼関係をつくることが何より大切な基本となる行動なのだ。
だから僕は、この震災で最も被害を受けた沿岸部で、地道で厳しい、しかし最も必要とされている作業を味わわなくてはいけない。自分が想像もつかない状況を身をもって体験しないといけない。でなければ、これから先僕がどんなことを考えどんな組織をつくりあげても、片手落ちの偏ったものでしかない。津波の来ない土地で毎日温かいご飯を食べて普通に仕事をし、風呂に入ってベッドで寝ている人間が机の上で考えた復興計画なんて、ただの紙切れに過ぎない。


そんなわけで、明日はともかく行ってくる。遅刻しないようにしないと。疲れるだろうなあ。ヘトヘトだろうなあ。曇りでも暑いかなあ。くそ、でも何だか胸の奥が沸々と熱いぞ。