Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

日常が恋しくて

今日は、業界の集まりで遠刈田の旅館までやってきた。


他の皆さんは宿泊するが、僕は帰宅組である。これから白石に帰るため、タクシーを待っている。白石からタクシーを呼ぶので、大分時間がかかっている。薄暗いロビーに一人だ。宴会場からの騒がしい声と、エアコンか何かの音だけが漂っている。


別に泊まるわけじゃないのに、高々数時間ほど離れていただけなのに、やたらと家族が恋しい。早く帰りたい。できれば、帰って子どもたちを抱きしめてからゆっくりと床に着きたい。


非日常を求めるときと、非日常を受け入れることが難しいときがある。日常が続けば非日常を欲するし、非日常が続けば早く日常に戻って欲しいと願う。人間たら、とてもデリケートにできているものだ。


多分、このところ非日常が続いていたのだと思う。だから、今は日常が恋しい。家族と一緒に、ゆっくりと眠りたい。聞き分けの無い息子をなだめ、泣き止まない娘を抱っこし、疲れ果てて眠りに落ちたい。それが、僕の日常なのだ。


それまでの日常を失い、徐々に失った生活が日常と化している人々の悲しみはいかほどだろう。僕が何かできるのだろうか。この、わずか数日の非日常生活を経ただけで、日常を恋しく思ってしまう情け無い男に、いったい何ができるのだろう。