Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

我らが城

朝からまぶたが重い。


先週水曜のボランティアから土曜のチャリティーコンサートと日曜の業界会議まで、ジワジワと溜まった疲労はさすがに一晩では抜けなかった。体力落ちたよなあ。運動不足は否めない。何とか無理矢理にでも運動できる環境をつくらないと。よし!水曜はまた泥かきだ!


土曜のチャリティーコンサート会場にて、iPhoneで撮影した1枚の写真がある。

城だ。15年ほど前に復元されたものだが、震災で外面に大きくヒビが入り、今も一部で立ち入り禁止だそうだ。天守閣には登れるようで、イベント当日も多くの方が展望台からステージを見ていた。


この白石城の補修に1億円かかるという。市が国や県に補修費の補助を依頼するようだが、いかんせんこの時期だ。城の補修にかけるお金があったら他に優先すべきことはたくさんあるのではないか、そんな意見が吹き荒れることは眼に見えている。いち白石市民としてこのニュースにひどく落胆してしまい、モヤモヤとした気持ちで昨日は業界会議場まで足を運んだ。


今日も朝から気が重かった。折しも疲れが溜まっていたし、他にも頭の痛いことが幾つか重なってしまった。夕方になって、ふとiPhoneを開き城の写真を見た。そして、そんな大金で補修する必要は無いのだとハッキリ感じた。


復元される前から、城はいつでも身近にあった。城跡は僕らにとって「お城山」であり、かっこうの遊び場だった。茂みに入って秘密基地をつくり、鬼ごっこをし、おもちゃのスキーを履いて日が暮れるまで遊んだ。昔、そこにお城があったことは誰もが知っていた。時々、ぼんやりとお城がどんなふうだったかを想像することもあった。
だから、城が復元されても、僕にとっては何故かあまり違和感はなかった。今まで想像していたものが、形になってそこにあるだけだった。いつも近くにあり、楽しく、どこか落ち着く場所には変わりは無かった。
城は僕たちと共にあった。この白石に生まれた仲間だった。


この震災で城についた傷跡は、僕たちの傷跡だった。僕たちが、隣人の死を悲しみ、故郷へ戻れない仲間に心を痛めているのと同じように、城も傷ついたように思えた。城は、僕たちの心の痛みを、外面にヒビによって表現してくれている。そして、今までと変わらず僕たちの側で寄り添ってくれているのだ。


僕たちの象徴である城は、きっと大丈夫だ。いつか、この震災で失われた命を心から弔い、不自由な生活を送る仲間たちが故郷へ戻れる日がきっとくる。そんな日が来るまで、我ら城の子は懸命に命を燃やすつもりだ。そして、僕たちが自分の傷を癒し、新しいステップを踏むときまで、城はきっと待っていてくれる。
その時は、きっと城を治してあげよう。生まれ変わったかのように、ピカピカに治してやるのだ。