Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

信頼を得るための4つのステップ

コミュニケーションにおいて、「信頼を得る」ということはとても大切なファクターである。むしろ、コミュニケーションの最終到達点が「信頼を得る」と言っても過言ではない。


幾つか、この「信頼を得る」ことに近づくためのステップを書いてみたい。これは、僕自身が誰かから信頼を得たという経験よりも、むしろ誰かを信頼することになった経緯を振り返ってみて、ああなるほどと気づいた点である。多くの人は、なあんだそんなことか、といった内容だとは思う。しかしながら、実践することは何より難しい。何故なら、それは自己肯定感の強度にまで遡ってしまうからだ。

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1.自分の問題を認める

他人との間に発生した結果には、概ね反省すべき点が残されている。
例えば、チームで参加したサッカー大会において、目標のベスト8は果たしたものの、その準々決勝で大差で敗北した場合。チームメイトとコミュニケーションを取るにあたり、チーム全体、あるいはその相手と自分に限っても、反省すべき点というのは必ず存在する。
例えば、忙しい時期を経て久しぶりに計画したデートの日、待てども待てども彼女が来ない。携帯に電話しても、メールをしても繋がらない。諦めて帰ろうとしたとき、ばったりと彼女と遭った。どうやら、彼女は待ち合わせ場所を取り違えていた。都合が悪いことに、彼女の携帯電話は故障していた。これも、反省すべき点は存在している。


そんな時、まず初めに貴方はどんなことを指摘するだろうか。


大差で負けた試合において、最初に失点したシーンで致命的なミスをした選手のことを、貴方は指摘して反省を促すだろうか。また、彼女が待ち合わせ場所を取り違えていたり、携帯電話の故障に気付かなかったりしたことを責めるだろうか。
多くの人は、自分の行動や考え方の至らなさを指摘されると、防御行動に出る。言い訳したり、ひどい時は逆ギレしたりする。自分の存在を必死に守ろうとするのだ。例えば、「お前がチェックに行くのが遅いのが悪いんじゃないか」とか「だって間違えやすい場所にするのがおかしいでしょ」といった反論によって自分を守ろうとする。
こうなると、コミュニケーションとしては最悪の方向に向かう。反論されれば、無論自分の至らなさを指摘されるわけだから、また反論になってしまう。「チェックが遅れたってミスはミスだろう」とか「不安だったら確認すべきだったでしょ」とか。


では、最初の失点シーンにおいて、自分がもう少し早めにチェックに行きパスコースを防げた可能性を挙げ、自分の非を認めたらどうだろう。また、彼女が間違えてしまうような待ち合わせ場所を選んだことや、ひょっとしたらこっちに待っているのかも知れないという可能性を考えなかった自分の非を認めたらどうだろう。
多くの人は、自分が責める前に相手が謝罪してしまうと、責めるパワーを失ってしまう。何しろ、相手はどうぞ自分を責めてくださいと待っているのだ。自分の非を認めた方としても、ここでどんな風に責められたとしても心構えができている。一旦認めたのだから、そこを指摘されても、余程のことが無い限り受け入れることができるのだ。
そして、そんな謝罪を受けた相手も自分自身の至らなさを挙げる。「いや、そんなことは無いよ。やっぱり僕のミスが決定的だったんだ」とか「そんなことないよ。間違えたのは私だし、携帯が壊れてるの気づかなくてゴメン」とか。こうなると、コミュニケーションは良い方向へ進み、信頼関係に近づくのだ。

2.相手の言い分を受け入れる

ところが、そんなうまくいくケースばかりではない。相手から自分が責められることから始まるコミュニケーションもある。また、自分の非を認めたはいいが、予想以上に相手から責められてしまう場合もある。そんな時は、相手の言い分を受け入れる力が必要だ。これには、とても大きな精神的パワーを要する。自分自身の核となる存在意識が確立していないと、受け入れることができない場合がある。


仕事でミスをした。責められることが分かっているので、上司の机まで行ってきちんと謝罪し、今後の対応案を話した。ところが、上司はそれで済まない。「君はさ、前も同じようなミスしたよね」から始まり、普段の仕事の態度や成績が上がらないこと、プライベートであるはずの趣味に対する嫌味にまで発展してきた。どうだろう。貴方は反論しますか?


あとで会社に対しこの上司のパワハラを告発するとしても、この場で反論するのは得策ではない、と僕は思う。もちろん間違いは間違いだ。以前のミスは今回とは全く違うのだが、この上司は理解しようとしていないし、普段の仕事だって新卒の後輩を職場に馴染ませるための僕なりの配慮だったし、成績が上がらないのは部全体のことだし、プライベートは関係ないだろう!というのは分かる。分かるけれど、ここは一旦引くが勝ちだ。


相手の言い分を認めてしまう。そして、認めた上で冗談で切り返すぐらいやってしまえば良い。「そうですよねー。またやってしまいましたよー。スミマセン^^;。態度も改めます、ジャキッ!で良いですか。やっぱシャキーンが良いですよね。どうやったら仕事取れますかねー。後輩たちと勉強会したいのですがいかがですか?僕の趣味ですが、よくご存知でしたね。○○さん(上司のこと)もやってみないですか?意外とハマりますよ」

3.相手になってしまう

100%相手が悪いという状況もある。そんな時、一方的に責めるのはやはり厳禁だ。ここは、相手の立場に立つという生優しいものではなく、相手になってしまう。そして、このミスを起こさないためにはどうしたら良いのか、を真剣に、真摯に、誠実に考えるのだ。


致命的なミスをした仲間に「じゃあ明日から、同じようなシチュエーションの練習しようよ。僕も一緒にやるよ。どう?」と声を掛けたり、待ち合わせ場所を間違えた彼女に「次からはさ、必ずツイッターのDMで今いる場所を送ろうよ」と提案したりする。また、ミスをしてしまった部下に対し「終わってしまったことは仕方がない。処理対応頑張ってね。もし話がこじれたら、僕が行くからいつでも電話するように。それから、君の先輩の○○くんと後輩の××くんと一緒に、ミスの発生原因を調べて今後の対策を検討して欲しい。3日あればできるかい?じゃあ火曜の10時から1時間で報告を聞くよ。火曜の朝までにメールで会議室の番号と報告書をくれ」と声をかける。

4.責めない

これまでの話には、「責める」という行為が無い。要するに、コミュニケーションにおいて「責める」という行為にはあまりメリットが無いのだ。
ところが。
自分にとっては「責めている」という意識がなくても、相手にとっては責められていると感じる場合がある。これが悩ましい。


チームメイトに「MFにポジションをコンバートしたら?」と言ったとする。自分としては好意を持って言ったつもりだ。身体的な特徴を考えると、DFよりもMFの方が向いているのでは?そう考えて言ったのだ。しかし、チームメイトは深く傷ついた。DFとして使いものにならないと言われたような気がしたのだ。
彼女に「スマートフォンにしたら?」と言ったとする。悪気があったわけじゃない。自分もスマートフォンだから相性が良いし、今流行っているから。でも、彼女は深く傷ついた。この携帯は、そもそも今の彼氏と付き合ったときに買ってもらった、記念の品物だったからだ。


責めることは避けたほうが無難だ。だが、無意識に放った言葉が相手を傷つけ、責めたように聞こえてしまう場合もある。こんなときは、1.自分の問題を認めるのステップまで戻ろう。無意識とはいえ、相手に嫌な気分にさせたのであれば、まずはその非を認めるべきだ。そして、2.相手の言い分を受け入れるによって相手の気持ちを和らげ、3.相手になってしまうによってこれからどうすれば良いか考えよう。

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これらのステップにおいてネックとなるのは、2.相手の言い分を受け入れるにおける自己肯定感だろう。自己肯定感が不足していれば、ここで自分を守るために反論せざるを得ない。そうなれば、また信頼関係の構築は一から出直しだ。


では、自己肯定感を高めるためにはどうしたら良いのだろう。相手のどんな言葉にも負けず自分自身を維持し続ける強さを得るためにはどうしたら良いのだろうか。
ここからは僕の仮説なのだが「誰かから、心から愛されること」なのではないか。誰かから愛されることで、人は自分を肯定し強くなれるのではないか。

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僕はできる限り多くの人を愛そうと思う。心から愛そうと思う。
僕が愛した人は、自己肯定感を強め、誰かと信頼関係を構築してくれるはずだ。そして、また誰かを愛してくれると信じている。それは、枝状にずっと繋がっていく。長い時間もかかるだろう。水と土が木を育て森を育てるような、途方も無い時間がかかる。
でも、もし自分が日本を、世界を変えられるとしたら、この一歩からしか無いと思っている。