Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

「できること」の範囲

本日、ウチの店にて救命講習を行い、僕を含めて13名が受講した。



人工呼吸や胸部圧迫による心肺蘇生法、AEDの使い方のほか、止血法や異物除去まで。ほとんどが実技による講習なので、居眠りどころか汗・汗・汗。いやあ心臓マッサージがこんなにしんどいものだなんて。確かに2分も続けると体制も崩れるし力も弱まってくる。救急車が来るまでの平均7分間、これをやり続けるなんて。確かに複数人で交代したり、AEDを併用したりするのがベターということがよくわかる。


僕自身、とても真剣に参加した。自分でも驚くほど真剣だ。何というか、自分が本当に目の前の人を救わねばならない状況になることが、それほど縁遠いものではないような気がした。他のみんなのまなざしを見ていると、どうも僕と同じような感覚でいるようだ。


明らかに震災の影響だ。被害の少ない内陸部に住む我々にとって、リアルな津波というのは想像が難しすぎる。しかし、怪我をしたり意識を失った人間が目の前にいるという光景は何となく想像することができた。むしろ、そのぐらいしか想像できなかったのだ。


震災後に良く言われているキーワード「自分が今できることを」。それは、言い換えれば、「自分が想像できる範囲で行動する」ということかも知れない。津波原発、そういった状況に置かれてしまった人々のことを真剣に考え、自分が明確にイメージできる状況に対し、考えうる最善の手を尽くす。これが「自分が今できることを」なのだと思う。
だから、人それぞれ違っていい。働いて払った税金が回りまわって被災地に使われることを想像できるのなら、それでいい。コンビニのレジの横に入れた百円が、いつか被災地にいる子どもたちが食べたり飲んだりするものに変わると想像できるのなら、それでいい。どうしても想像できないから、現地に行って泥かきする、それもいい。


「自分が今できることを」それは、まずは「できるだけ想像してみる」ところから始まるのかも知れない。