Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

エンパワード・バイ・ミュージック

音楽の役割ってなんだろう。


ウチのお店の真ん前が小学校なのだが、今日は体育館から何やらジプシー系の音楽が流れてきていた。しっかりした音の笛、ギター、リズム、マンドリン。まるで「コンドルは飛んでいく」が聴けそうな、そんな楽器構成だった。午前中は各楽器がそれぞれ弾いており、体育館にも子どもたちは入っていなかった。どうやらリハーサルだったようだ。午後、灼熱の2連続会議をこなして店に帰ると、大勢の子どもたちがステージを食い入るように見入っており、午前中に耳にしたような音楽がそぞろと流れてきていた。どうやら、プロかそれに準じるくらいの実力派バンドが、子どもたちに粋な音楽をプレゼントしている、そんな風に見えた。


まさかとは思うが、被災地の子どもたちに音楽で楽しんでもらおうとやってきた慈善精神溢れるバンドなのだろうか?


そういえば、前にテレビで避難所を慰問する歌手の映像を見た。ずいぶん前に数曲だけ売れて、それからとんと名前を聞いたことがない歌手だ。
段ボールや毛布などで溢れる体育館。そこで生活している人は、いつもの生活を一旦止めてステージの方をじっと見つめていた。老若男女、みな静粛に音楽を聴いている。テレビカメラは、コンサート終了後の避難者の声を映していた。感動した、涙が出た、そんな言葉だった。


うーん。申し訳ないけれど、僕は遠慮したいなあ。自分が大好きでお金を払ってでも行列に並んででもライブに行きたいミュージシャンならともかく、それほど興味ない音楽を大勢の人と一緒に聴かなくてはいけないというのは、僕にとっては正直苦痛だ。ましてや灼熱の体育館にじっと座らせられたり、生活の場所にずかずか入られたりしたら、僕は逃げたくなる自信がある。


もし、避難所の人に本当に音楽を楽しんで欲しいのなら、音楽で心を癒してほしいのなら、自分の楽曲だけではなくてそれこそあらゆる世代の人間が聴けるような多種多様なCDをごっそりと購入し、人数分のポータブル・CDプレイヤーとともに避難者にプレゼントすべきだと、僕は思う。だって、好きな音楽・癒しとなる音楽って人それぞれだ。美空ひばりに癒される人もいるだろうし、X JAPANに癒される人だっているはずだ。みんながみんな良いと思う音楽ってそうそう無い。それに、音楽を聞きたいと思う時間帯や場所も人それぞれだと思う。あるいは、気分によってそれも変わってくる。寝る前にしっとりと聴きたかったり、目覚めたときに心を明るくする音楽が聴きたかったりするだろう。


一方、あるミュージシャンの慰問風景もテレビで見た。その人は、大量の支援物資をこれでもかとトラックに詰め込み、避難所に届け、自分のことを慕ってくれる人と握手をしたり、話を聞いたり、記念写真を撮ったりして、そのまま帰って行った。歌うシーンなど一コマも無く、ほほえましくも自分のCDを大量に置いていっただけだった。
江頭2:50が、物資を運び込んだ避難所で自分のギャグを披露したのか?テレビカメラをひきつれ、避難所でのステージを映してもらい、避難者に感想まで言わせていたか?全く逆だ。彼は何もしなかった。ただただ、必要だと思う物資を届けただけだった。だからこそ、みんなが支持したのだ。


音楽は、決してパフォーマンスの道具ではない。常に現実と向き合っている人間が、ひと時だけ夢の世界に浸るための手段なのだ。


-- 2011.6.30 追記 --
聴くだけじゃなくて、歌うことも、とても楽しい音楽との触れ合い方ですね。