Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

それは生命のようなもの

まずは言い訳から。


4日の夜からひどい頭痛に襲われ、5日はどうしても体を動かすことができなかった。頭痛をきっかけに、心から火が消えたような重く深い無力感が体中を覆い、誰かと話すことも、ベッドから出ることもできなかった。翌日はPTA活動という重労働が待ち受けていて、それに向けて体調を整えたいような、だからこそ欝になっていたような、そんな複雑な気持ちだった。


かといってなかなか眠れず、朝になって無理やり体を起こすと、体と心はますますひどい状況だった。何とかウィダーインゼリーを口にするが、リビングに横になると一向に動けない。このままPTAもサボってしまうのかと焦る中、ふと子どもたちの笑顔が思い浮かんだ。この笑顔をずっと守らなくてはいけない。僕もその横でずっと笑っていたい。すると、真っ暗だった心に微かな灯火が生まれた。その小さな灯をたどって、ようやく体を起こすことができた。
午前中の肉体労働は、早くも10時時点で軽い脱水症状に陥り、汗だくで作業する他の父母を横目に日陰でスポーツドリンクを飲み続けていた。優しい言葉をかけられると、なおさら無力感が更に深く胸に突き刺さってくる。懸命に「仕方が無いんだ」と自分を言い聞かせることしかできなかった。
昼過ぎ、ヨロヨロと帰宅し冷たいシャワーを浴びる。午前中しゃかりきに遊び昼寝に落ちた娘と寝室に入るが、僕だけ一向に眠れない。体がボロボロなのに、午前中のPTA活動で動けなかった自分と、本来午後に予定していた仕事をキャンセルした自分を責め続けていた。
夕方、カミナリに驚いて起きた娘をあやしたり、地区の盆踊りへ行く息子と娘の準備を手伝ったりしていると、徐々に気持ちが楽になってきた。鎮痛薬で頭痛を抑えたことも大きい。体を動かせる自分が嬉しかった。


7日の朝になると、ずいぶんと回復している自分に驚く。この日は名取のビール園で業界内の決起大会があり、司会を務めなくてはいけなかった。前夜はとても憂鬱だったし、当日朝も不安感が大きかったけれど、いざ時間になって覚悟を決めると、いつもの調子が戻ってくるように感じた。
何とか司会とたくさんの人達との会話をこなして実家に帰り、小一時間横になる。遊び疲れた子どもたちと自宅へ帰り、カオスと化していた子どもたちの玩具を整理していると、とても安らいだ気持ちになった。ようやく、元の世界に戻ってきたように思えた。


子どもと暮らすことは、とても面倒なことだ。爽やかな日曜のモーニングコーヒーも、疲れ果ててようやく迎えた週末も、遊び相手とオムツの交換に忙殺される。仕事もプライベートも、常に子どもという制約がつきまとってしまう。じゃあ子どもを持つことは損なのか?
否。それらの代わりに、僕らはとてつもなく貴重なものを受け取っている。それはまるで生命だ。自らの存在を肯定し、筋肉を躍動させる炎だ。動けなかった朝、ボロボロだった夕方、疲れ果てた一日の終わりに、僕は子どもたちから生命を吹きこまれていた。
不思議な話だ。僕と妻が産み出したはずの生命に、僕らは逆に生命を与えられているのだ。