Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

ココロのフリコ

気持ちのやり取りは、振り子のようなモノではないかと思っている。


中学あたりからだろうか。クールな生き方や考え方がカッコイイとされ始めた。
熱血教師やハツラツプレーは「サムい」と揶揄され、大げさにせず、無理に感動を演出することなく、自然なスタイルで過ごすことがトレンドになった。金八先生は過去のものとなり、生徒にあまり干渉せず、古めかしい伝統や形式にこだわらず、自分のスタイルを持ちながら時折面白い話をするような先生がウケた。友人関係も同じだ。深く相手に干渉し、度重なる衝突と引き換えにかけがえのない信頼関係を得ることは誰もしなくなった。適度な距離感を保ち、限定された範囲内で一緒に過ごし楽しい時間を過ごせればよい、そんな関係を望んだ。
結果、とても辛く悲しい体験をせずに済んだ代わりに、大きな感動や嬉しさを味わうこともなかった。相手に向かう振り幅が小さければ、自分に返ってくる振り幅もその分だけ小さくなった。


そんな感覚がウィルスのように日本全土を覆い、いつしかそれが普通になってしまった。何も言わないから、何も言わないで欲しい。干渉しないから、放っておいて欲しい。それが僕らの世代の共通の感覚になってしまった。今もなお、その傾向は日本の津々浦々を席巻している。熱い人間は、周りから非難され、遠ざけられ、やがて孤独のうちにその場を去るか、自分を変えるかの選択を迫られた。


「それでいいのか?」社会に出る前、僕は唐突にそんな疑問にぶち当たった。


見ず知らずの人たちに囲まれた東京で、僕は振り子の幅を大きくしようと思った。クールさの中心地だった東京で、僕は一人、熱くなろうと思った。但し、それは単に自分の理想へ向かう振り子ではなく、あくまで相手の意思に沿った振り子だった。初対面の人にでも積極的に話しかけ、あるいは失敗談などで自分を知ってもらおうと努め、相手の気持ちに沿って自分の振り子を大きく振りかぶった。
いつしか、僕はたくさんの人に受け入れられた。恐る恐る降りだした振り子は、僅かながら相手の心を共振させ、少しだけ大きくなった振り子が戻ってきた。僕はその振り子を心の奥まで受け入れ、また少しだけ強く返した。相手は、僕がきちんと振り子を受け入れたことを知り、喜んでその振り子を受け入れてくれた。


間違っていなかった、そう思った。それは、東京を離れ、生まれ育ったこの土地に帰ってきても変わらない。


震災後、僕が大きく大きく振りかぶって投じた振り子は、今日、たくさんの夢と希望と一緒に戻ってきた。
涙が出そうだった。