Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

311からカイフクせよ

今朝、白石市立白石中学校の正門(北側)から出たところのT字路にふと車を停め、iPhoneで写真を撮った。

西方向


北方向


東方向


ここは白石市の中でも、比較的被害が大きかった地区の一つだ。まず、白線が引かれた道路の痛々しさがよくお分かりかと思う。震災直後、ここは陥没と湾曲の道路となった。雪や雨が窪みにたまり、車を走らせると激しくバウンドした。それが乾くと、もうもうと砂ぼこりが舞った。今でもそうだ。市内の道路はそこかしこに白線が引かれている。窪み、歪み、破損、地割れ。マンホールが隆起しているところも多い。白線が引かれたということは、工事を予定しているという意味だ。市内の旧国道は最近、大規模な工事が行なわれている。まずは崩れた道路を全て引き剥がし、その上に位置からアスファルトを敷くのだ。この道も、じきに工事が行なわれるのだろう。一度残ったアスファルトも全て引き剥がし、その上から真新しい真っ黒なアスファルトが敷かれるのだ。
東西に伸びる道路の両脇の家屋にも大きな被害があり、幾つかの建物は既に撤去されている。懐かしい駄菓子屋や、会館や。ずっとそこにあった建物が無くなるというのは、とても不思議なものだ。見えなかったものが見えるようになる。頭の中に描いていた地図が、一面的だったことを思い知る。位置関係を改めて知る建物もある。
こうして、地震の傷跡は徐々にその痛々しさを失っていく。窪んだ道路を引き剥がし、崩れた建物を壊すことで、まちは震災を過去のものとしていくのだ。


果たして、これは回復なのだろうか。治癒と呼べるのだろうか。


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腰痛は、投薬と程よいサボりのおかげか一時期の痛みはずいぶんと和らぎ、デスクワークを続けられる時間も徐々に長くなってきた。腰回りの筋肉の炎症が治まったからだ。しかし、このまま同じ生活を続けていれば、いずれまた再発することは眼に見えている。大学以来続く慢性的な運動不足によって、腹筋と背筋はあり得ないほど衰えている。決して減りはしない体重と座ったままの姿勢に加えて、まだまだ重くなる子どもたちを抱くことは自殺行為に等しい。
傷ついた体を本当に回復するのなら、ただ今の痛みを和らげただけでは全然足りない。新しい力をつけ、原因を解決しない限りまたそれはやってくる。あるいは、それは体に限らないのかも知れない。


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さて、平らになった道路の上を、僕たちは何を着て、何を履き、また何に乗って通るのか。
忽然と目の前に現れた空き地に、僕たちは何を建て、誰が住み、また何を生業とするのか。


まちの回復、震災からの「回福」とは、まだまだこれからなのだ。