Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

トリップ・オンザ・ミュージックイベント

昨日は仙台でアートイベントがあり、妻と息子が参加してきた。(細かく言えば妻も主催者側なのだけれどまあいいや)


息子は体中絵の具だらけにして帰ってきた。家に着いた頃には既に夢の中。こんな風に車で眠ってしまうことなんてしばらく無かったのに、よほど疲れたんだね。僕が抱き上げて(腰を使わず腕の力で!)ベッドに運ぶ間も全く目覚めることは無かった。そのまま朝まで汚れた服のまま熟睡。寒いかと思ってタオルケットと肌掛けを掛けてあげたら、汗を掻いて寝ていた。外着のままじゃあ暑かったね。


子どもたちが寝静まったあと、妻とアートイベントについて話した。
最近、被災地で盛んに行なわれているペイント系のアートイベントの主な目的は「心の開放」だ。絵の具などを使って自由に作品を描くことによって、津波のショックや避難生活のストレスから心を開放させる。妻と息子が参加したのは、まさにこうしたイベントだった。
考えてみると、数ある芸術的アプローチの中で、「絵」はとても身近であり、なおかつ参加する場合の障壁が低い。誰だって絵の具と筆(あるいは手)があれば絵は描ける。そして、自分の自由な発想をそこに表現することができる。もちろん技術の差はあるだろうけれど、目的が「誰かに見せて楽しませる」よりも「描くことで自分が救われる」という意味であれば技術の差は問題にはならない。
逆に言えば、音楽というのはそうした「心の開放を目的としたイベント」として開催した場合に、参加障壁が高いような気がする。自由に音を出していいよと言われても、例えばトランペットなどの管楽器は音を出すことさえ難しいし、弦楽器は調律が必要だし、鍵盤楽器はある程度練習したことがないとまともな音は出そうにない。唯一、打楽器ならば習熟度にかかわらずとりあえず音は出せるけれど、次は騒音という問題がある。付近に住む方へ迷惑となる可能性もあるし、特に夜に音を出すことは全くのNGだ。防音室をつくるのはとてもコストがかかるし、防音設備のある場所は本当に限られてしまう。
声や手拍子という手もあるけれど、適当にスキャットしてねってわけにもいかないし、手拍子でどれだけ音楽と呼べるのやら。
その他、ダンスや粘土細工などと比べても、音楽は参加しにくい分野の一つだなあ、と思う。


けれど、例えばハ長調の音だけ出るような楽器を揃えたらどうだろう。シロフォンマリンバを白鍵盤だけにする。ギターなどもオープンチューニングをしてしまう。ハーモニカやハンドベルなど、全てをハ長調の音階だけで統一する。そして各種打楽器を揃え、防音設備のある室内に無造作に配置する。部屋の中には、耳障りでない音量で電子音が適度なリズムを刻む。さらに、一部の照明もそのリズムに合わせて点滅し、部屋の中のリズムを合わせる役目を果たす。一人のリーダーが、得意な楽器を使って小節を区切るようなアクセントを入れる。参加する人たちは、思い思いに楽器を使って、リーダーのつくる小節と部屋のリズムに合わせて曲を奏でるのだ。
これなら、みんな自由に音を出すことができる。何回かチャレンジするうちに、気持の良い音を出せるようになってくるはずだ。きっと、心を開放できるんじゃないだろうか。


もう既にそんな活動を行っている団体があるかも知れない。探してみよう。そして、いつかそんなイベントを僕自身がやれたなら。多くの人が、それで楽しいと言ってくれたなら、こんなに嬉しいことは無い。そもそも、僕自身がそんなイベントに参加してみたい。
ちょっとだけ息子を羨ましく思いながら、妻とそんな話をしていた。