Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

例えば発熱した子どもを前に



例えば仕事中、思いがけない瞬間に保育園から電話があり、子どもが熱を出したから迎えに来て欲しいと言われたとする。職場の上司や同僚はとても理解があり、仕事は途中だったものの他のメンバーがカバーしたり後日自分で処理したりできる範囲であり、比較的気兼ねせずに仕事を切り上げることができたとする。保育園につくと、他の園児と離れて我が子だけが片隅の布団に寝ており、自分の姿を見つけると喜んで抱きついてくる。確かに熱はあるものの、子どもは元気だ。保育士にそれまでの子どもの様子を聞き、荷物をまとめて保育園を出る。行きつけの小児科へ行き、薬をもらわないと行けない。薬局で子どもが好きなスポーツドリンクを買ってあげよう。そのままスーパーに寄って夕飯の買い物も済ませてしまい、家に帰って子どもを寝かそう。そんな、子育て世代ならば幾度も経験があるであろう日。


子どもの相手をする時間について、あなたはどう思うだろう。仕事ができなかったことについて悔しい思いを抱くだろうか。仕事をサボれて良かったと思うだろうか。子どものそばにいてあげられて安心するだろうか。あるいは、それらが時によって変わり、混沌とした気持ちだろうか。5年半前、息子がまだ保育園に通いだした頃の僕は、そんな混沌とした気持ちで過ごした。一向に寝ない息子を前に焦っていたこともあるし、いいや僕も寝ちゃえと思ったこともあるし、息子の病状にうろたえたこともある。


けれどいつからか、こう思うようになった。
「これは僕にとって大いなるステップアップのチャンスだ」
決められた時間に自分のペースで仕事をするよりも、子どもという不確定要素が近接する条件のもと、高いクオリティで仕事をすることの方が遥かに難しい。それをクリアすれば、僕はステップアップすることができる。
それと同様、決められた時間に自分のペースで休めないということもとてもハードな条件だ。休めるときにできる限り休むこともとても大切なスキルである。子どもと過ごす時間にできる限り休息を取る。それができれば僕はステップアップすることができる。
また、子どもとの信頼関係を築くことは、僕の人生においてこの上なく大切なことだ。特に子どもが体調を崩しているとき、そばにいてくれる存在でありたいと僕は思っていて、その意味においても子どもと過ごすこの時間は貴重なものなのだ。


いつでもそんな風に思えるわけではなかったけれど、この考え方のシフトチェンジは自分の中で印象深い瞬間だった。
全てのものをポジティブに捉えることができたら、そんな風にも考えてしまうのだ。