Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

霞む未来を刮目せよ


震災から8ヶ月以上経った。もうそんなに経ったのかと思う一方、まだまだこんな状態だよとため息をついてしまう。津波の被災地は言うに及ばず、福島第一原発事故によって避難を余儀なくされた地域や除染が求められている地域。そして、それらの復興を足止めしてしまう、日本と世界の厳しい情勢。日本の水害、世界各地の大地震。欧州の経済不安。中東の革命。円の高騰。あげくにTPPだ。


先を見ようとすると、理想とする姿は遥か彼方に遠く霞んでしまう。近くにたぐり寄せるのは至難の業だ。無理をすると足を滑らしてしまう。ゆっくりと地面を固めることを続けるしかないことは知ってる。そしてその一つ一つの作業が、確実に夢へ向かって前進していることを固く信じることもできる。でも遠い。10年?本当かな?僕のこの人生のうち、33歳からの貴重な10年間を費やしても、その時点で本当に復興を成し遂げることができるのだろうか。


そして恐ろしいことに、「次の地震」が来るであろう30年後までの貴重な8ヶ月がもう過ぎ去ってしまった。復興まで10年かけたとして、残りの20年で震災による経済的・心理的ダメージを挽回できるのか。僕が43歳から63歳までの壮年期を費やして成し遂げることができるのだろうか。そして何より、僕が老いた頃にやってくる「次の地震」へ向けて、万全な体制をとれているだろうか。


不安は何も生み出しはしない。霞む未来を刮目せよ。それは自らの手で創り上げるものだ。未来は僕の中にある。霞めているのはそこへ至るまでの長い時間じゃない。僕自身の不安な心だ。


行け!自分に負け現状に甘んじるときではない。その足で踏みしめろ。誰も足を踏み入れたことのない場所を、固く固く踏みしめるのだ。