Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

突然のブログ論 〜量と質と熟成と勢い〜




ブログをおよそ1年間、ほぼ毎日のように書いてみた。「コツ」と言えるほどのことでは無いけれど、書いていて手応えを感じる時とそうでない時が少しずつ分かってきた。反応がどうかというよりは、自分の中で納得がいく、良いと感じるエントリーを書くために何が必要なのか。


1.情報の量と質
まずは、たくさん情報を仕入れることが必要だと思う。TwitterFacebook、その他あらゆるインターネット上の情報はもちろん、テレビ、新聞、雑誌というメディアの情報も仕入れた方が、多面的で総合的な情報を仕入れることになる。自分本位の考え方というのは、往々にして敵をつくる。どちらかと言うと自分の考えとは正反対の意見があることを視野に入れながら言葉を選んだほうが、分かりやすい文になることが多い。
それと、見逃しがちなのは「リアルな体験」という情報についてだ。空の色、風の冷たさ、会った人の表情や食べたものの味、そういった五感で感じる情報もれっきとした情報であり、どんなメディアのどんな情報よりも具体的で臨場感がある。そして、他の誰も得ることができない、自分だけのオリジナルな情報なのだ。
はっきり言って、読んでいて楽しい情報というのは、この「リアルな体験」に基づくものが多い。ブログを書こうとしてデスクに座って一日中インターネットを徘徊し、あるいは書籍を読みまくり、そうして得た記事を自分の言葉に翻訳してブログとしてアップするよりも、外へ出て自分の足で地面を踏み、実際に見て触って嗅いで味わった情報を自分なりに解釈してアップしたブログの方がよっぽど面白い。
毎日同じ道を歩き、同じ電車に乗り、同じような仕事をして同じような家事をこなし1日が終わる、そんな風に感じている人もいるだろう。けれど、昨日の自分が二度と戻ってこないように、今の自分も二度と戻ってはこない。ブログに書くというよりも、自分の感性を常にリフレッシュして、何気ない日常にいつもと違う、あるいはこれまで気づかなかった点を見つけ出すことの意味は計り知れない。目の前を通り過ぎた車のナンバー、電車から見えた自転車通学の生徒たち、向かい側に座るサラリーマンが見ている携帯電話、同僚のネクタイと、コンビニで見つけた美味しそうなチョコレート。そうした一瞬一瞬に感心を向ければ、世界はめまぐるしく動いていて、ワンダーに満ちていることに気づくだろう。それこそが、ブログによって得られる最大のメリットではないかと思う。


2.熟成の時間
得た情報をすぐさまブログにアップしようとしても、イマイチまとまりがつかなかったり、後で書き忘れた点に気付いたりする。特にリアルな体験で得た情報というのは、まだテキストになっておらず、右脳的な記憶として体が持っているだけの状態である。それをどんな言葉に表すのが最も適しているのか。また、その感覚のどこに面白さを感じたのか。それらを文章に起こすには、適度な時間が必要である。
僕は入浴時がそんな時間になっている。別にブログに書くとか意識すること無く、シャワーを浴びているとその日に感じた印象を振り返って、「ああ、あれは面白かったな」とか、「あちゃあ、あれは失敗だった」とか様々な記憶が頭に巡ってくる。特に印象深かったことは、重点的にあれこれ考えることになる。「ああすればよかったのかな」「あの人はどう思っていたかな」などなど。
そうした熟成の時間を経ると、それまで感性でしか捉えていなかった記憶が統計的にまとまってくる。反対意見を想定するのも、そうした熟成の時間である。熟成の時間が長ければ長いほど、一つの記憶に対する見解は深まっていく。その代わり、別の体験に関する見解も深まってしまうので、ブログとして何を書こうか迷う原因にもなりやすい。できれば、適度な熟成の時間を経たらブログとしてアップしてしまい、その後違うテーマについて考えるのが望ましい。
ところが人間はそううまくはいかないわけで、色々なことが起きる日もあれば、これといって特筆すべきことが無い日もあるし、2〜3日も同じことをぐるぐる考えることもあれば、10分ほど考えてスパッと結論付けてしまうこともある。なので、そんな時はTwitterFacebookなどを利用することも1つの手だ。ある程度考えがまとまったら、140文字程度で軽くツイートしておく。改めてブログとして詳しく書いてもいいし、それで終わりでもいい。忘れてしまったのならば、その程度の考えだったということだ。もしずるずるツイートするのなら、中間で一度区切ってブログにしておくのも良いと思う。


3.一気に書く
文章には勢いが必要である。数時間かかったり、途中で下書きとして保存して後ほど続きを書いたりすると、きまって文章はちぐはぐな印象になってしまう。かかっても1時間程度で、一気に書き上げた方が文章に力がある。適度に推敲するとしても、似たような言葉回しが続いてしまったり、表現が中途半端だったりするかも知れない。そのあたりは腹をくくる。伝えたい、書きたいテーマが書いてあれば、文章の不十分さは目をつぶることだ。一番大切なのはテーマとそれを表現する文章の力であって、細かい間違いははっきり言ってどうでも良い。音楽の「力」と「テクニック」だと思えば分かりやすい。どんなに上手な演奏家でも、心がこもっていなければ誰も感動しない。少々下手くそだって、心で弾く音楽は人の心を打つ。


まとめ
以上が、これまでのところ僕がブログに関して気づいた点である。もちろん、この考えもまだまだ未成熟であって、これから考え方も変わっていくかも知れない。ただ、少なくともブログに対して「時間がないから」「文章に自信がないから」という理由でネガティブになってしまうのは勿体無いような気がする。
特に、僕と同じ子育て世代の皆さんには、TwitterFacebookと同様にブログをおすすめしたい。毎日更新しなくても良いし、それほど長い文章を書く必要もない。たくさんアクセスしてもらうのは、そりゃ少しは見てもらいたいけれど、それほどこだわらなくて良い。それよりも、毎日少しずつ変化していく子どもたちに寄り添うことに、また一つ楽しみを見い出せることがとても大きいと思う。「自分が子どものころと比べて」「他の子よりも」「昨日の子ども自身とは違う」そんな気づきを、もっと大切に、楽しく感じることができる。もし記録できて、後で見返すことができるのなら、そこでまた新しい気づきを得られるはずだ。Twitterでも良い。Facebookでも良い。Instagramでも良い。でも、1年を通して、あるいは数年を通して記録し見返すことができるツールとしては、今のところブログがベストだと思う。


アウトプットだとか、コミュニケーションツールだとか、そんな使い方も良いと思う。あくまで僕なりの使い方ということだし、やってみての感想なので、実際には僕自身が上のような使い方を充分にできているとは言いがたい。でもまあ、ブログも良いもんだよと、皆さんに伝える義務があるような気がして、今日はこのエントリー書いた。ちなみにこのエントリーの内容は、昨夜の風呂の中と、入浴後の腰痛体操の時間に熟成されたものである。


それでは良いブログライフを!