Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

21世紀のホモ・サピエンス

さとなおさんの「明日のコミュニケーション」を読んでいる。なかなか読めずにいたので、この機会に読むことにしたのだ。
この本の出版直後だったか、仙台に来られた際に短い時間だったが講演会も聴いたし、常々ブログやらFacebookやらで発信するさとなおさんの考えに触れていると、良い意味で目新しさの無い本だ。これまでのコミュニケーションデザインの辿った歴史や簡単なソーシャルネットワークの位置づけなどの紹介を丁寧に行いながら、関与する生活者100人をエバンジェリストにするためについてスッキリとまとめている。こういった本が、この時代の象徴的で完結かつ本質的に記述している代表的な本と呼ばれるのだろうと納得しながら読み進めている。


さとなおさんは、あくまで企業がコミュニケーションデザインするにあたりソーシャルネットワークとどう付き合ったら良いかということを、コミュニケーションディレクターという立場から書いている。しかし、この本に書かれた内容はもっと本質的なことで、実はこれからのあらゆるビジネスモデルにおいて必要な前提となると感じている。


すなわち、モノを採りあるいは作り、加工したり組み合わせたり、運んだり売ったり、それらを知ったり買ったり食べたり紹介したりというそれぞれの場面において、ビジネスパートナー、あるいはステークホルダーとのエンゲージメントが今まで以上に求められてくる。もっと信頼できる相手と、もっと納得のいく取引をしようとする。それは価格の低さであるとか納期の短さであるとか第三者機関の基準による品質の良さであることよりも、長い時間をかけてお互いの良さあるいは欠点を認め合い、心の底から相手を思いやり、また相手からそれを感じることで生まれる、まごうかたなきキズナだ。


であれば、やはりそれは「商い」という社会的行動の原点に戻るということに他ならない。物々交換から貨幣経済が生まれ、あらゆる商品が次々と生まれた人間の歴史の中で、実はこれまでのエンゲージメントが軽視された時代というものの方が珍しいわけで、狂った時代から本来の姿に帰着するというだけのことなのだ。


そう考えると、様々なテクノロジーが組み合わされて生まれたソーシャルネットワークというのは、人間の絶対数が少ない時代にお互いの考えを交換し合い始めた「言語」以来の、人類のコミュニケーションにおける進化なのかも知れない。


なーんてちょっと考えて、僕はまたYoutubeで懐メロの生活に戻る。なはは。