Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

呼吸のスピードアップ

Twitterでフォローしている数がおおよそ1,000。Facebookでは、フレンズとフィードを購読している数で140弱。なるほど、欲しい情報が自然に流れてくる。「情報の呼吸法/津田大介」に書かれていたとおり、信頼出来る情報ソースである「人」を起点として僕が興味を持ちそうな情報が次々と入ってくる。そして若干のノイズが自分の情報網の幅を広げる。一方、生業としている新聞に毎日目を通し、妻から薦められる本を何となく眺めることで、インターネット上での情報の偏りの是正を図りながら、正しい情報を見極めるためのトレーニングを積み重ねることができる。そして時には音楽を聴き、窓の外の景色に目を向け、子どもたちと遊びながらくたびれた脳味噌をリフレッシュする。
まさに、僕らは呼吸するかのように情報を取り入れては吐き出しているのだ。


親に言わせれば、僕らはあくせく急いでいるのだと言う。いつもiPhoneやらPCやらを眺めていて、何か大切なものを失っているのではと感じるらしい。確かに、人間が受け入れる情報の量が昔と変わらないのであれば、我々が携帯電話やら液晶ディスプレイやらで得られる情報の分、昔の人が得ていた情報を失っているのだろう。それは、情報=時間という仮定があれば正しい。昔も今も、一日は24時間しかなく、一年は365日しか無いのであるから、人間が手にする時間=情報は同じなのだ。


それが違うということであれば、仮定が間違っていることになる。情報を得るために必要な時間は、昔に比べて短くなっているということだ。従って同じ時間を過ごしていても、得ている情報量が増えているという結果になる。これは、インターネットが発達したこれからの時代にも当てはまる。すなわち、10年後には我々が得る情報は更に増える。それは、情報を得るための時間が短くなることによってなされるのだ。


ということはだ。これからの「情報」には「いかに短時間で把握されるか」が求められるということになる。
いかに文章の構成に工夫を加えても、テキストである以上短時間化には限界がある。よって、音声や映像の組み合わせや、生活上の別の場所で得ることができる情報入手方法が必要になってくる。それは、既にオールドメディアと呼ばれつつある情報媒体にとっても直面せざるを得ない問題だろう。