Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

あるじを失くしたツリーハウス

今朝、丸森町の耕野小学校へお届け物を納めに行ってきた。


丸森町は、宮城県最南端に位置する町。古くは養蚕業で栄え、旧商家の街並みと養蚕を営んでいた農家、そして豊かな自然が混在する町である。町の中心を阿武隈川が流れている。大雨などで度々氾濫もするこの大河だが、肥沃な土地を提供する命の川でもあった。僕が訪れた丸森町耕野地区は川の北岸。豊かな自然が残る中山間地であり、日本的な田舎らしい田舎として、スローライフを求める国内外の方々にとっては魅力ある土地だった。
震災前は。


震災後、町の状況は一変する。丸森町は南部が福島県にグッと入り込んでおり、福島県内の非常に放射線量が高い地域が目と鼻の先である。阿武隈川は、今も福島県から大量の放射性物質を流し続けている。従って宮城県内でも特に放射線量が高く、線量調査・除染・健康調査などへの取り組みも比較的早くから着手している。しかし、豊かな自然と自給自足の生活を期待して住み着いたいくつかの家庭は、既に丸森町を去ってしまった。特に幼い子どもを持つ家庭は、震災後すぐに避難したそうだ。タネから育てた作物も、地下から組み上げた飲水も、全てが放射性物質に汚染されてしまった。豊かな自然は放射性物質の温床に、自給自足の生活は内部被曝という自虐行為に変わり果ててしまった。


耕野小学校への上り坂を上がるとそこは校庭だった。校庭をなぞるように、先生方が駐車している方へ車を走らせる。子どもたちはいない。きっと入学式や始業式はまだのはずだ。校庭の片隅に、似つかわしくない青いビニールで覆われた一角が見える。きっと削りとった校庭の表土が集められているのだろう。
学校の先に公民館があり、その向かい側の道を上るとツリーハウスがある。3年前、ウチの息子はこの一帯で泥だらけになって遊んだ。ツリーハウスは秘密基地だった。近くにすむ一家と仲良くなり、そこの3人の子どもたちと良く遊んだ。友達がたくさん集まり、森の中で自然を相手に遊んでいた。ある時、遊び疲れて泥だらけで帰った息子は、上着を紛失し、脚はブヨに刺されて血だらけだった。それでも息子は、「あー楽しかった」とつぶやき、その目はまだ夢の中にいるようだった。ニンテンドーDSiPhoneバトルスピリッツも何もない。でもここは、紛れもなく遊びの原点だった。息子は木に上り、穴を掘り、枝を振り回し、泥だらけになり、走り、叫び、笑った。


彼らはもういない。
震災が、福島第一原発事故が奪い取ったものは、かけがえの無い宝物だったのだ。