Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

土台づくり

ビジネス本を幾つか読んだ時期もあるし、色々なセミナーに出かけようと思って調べたり実際に何度か出席したりもした。もちろん、色々なことが学べるし、自らを省みる機会にもなった。まだまだ読むべき本はたくさんあるし、聴くべき講座は数多く開催されている。僕も読むべき、聴くべきだろうとも思う。思うけれども、ただ何となくだけれど、ようやく今になって、数年前に読んだ本や聴いたセミナーの内容を現場で実践できるようになってきたようにも思う。


記憶を辿ってみると、数年前に本やセミナーで大きな刺激を受けて自分の生活に戻ると、急に現実を見てしまって落胆したことが度々あった。目の前にあるのは泥臭い人間関係だったり、古き形式的な伝統だったり、悪しき習慣と改革への怠惰な姿勢だった。せっかく良いアイディアを思いつき、いざ実践に移そうと思っても、その第一歩を踏み出すまでにまだまだ乗り越えるべき課題があるのだった。僕が声を荒らげて崇高な目標を立てても、それは誰の心にも到達せず、文字通り絵に描いた餅だった。


そんなこともあって、僕はしばらく前から読むビジネス関連の書籍やセミナーへの出席を減らした。高みへの夢、理想、それらをひとまず横に置いておいた。その上で、泥臭くて地味な、良く言えば人間臭い場所から出発することにした。目の前の困難に仲間と一緒にぶつかり、ちょっとした成果に一緒に喜び、ちょっとした失敗に一緒に落胆した。時には大いに笑い、時には本気で意見を言い合った。決して理想を見失わず、そこへ到達するためのプロセスなのだと信じた。
そのきっかけは震災が大きい。震災を経て、僕はそうした理想へたどり着くのは、決してホップ・ステップ・ジャンプでは無いことを直感的に感じたのだった。


その取り組みはまだ十分じゃないし、決して目の前が開けたわけではない。まだまだ落ち込むことは多いし、失敗するし、あの日思い描いた夢を見失いそうになる。ただ、ようやく少しずつ、階段を登りはじめたような気がする。まだまだ固め続けている土台の上に、うっすらと何かが乗り始めている。時折、昔読んだ本の一節やセミナーでの1シーンを思い出し、今それを実践すべき時だと感じるときがある。


そういう意味では、この遥かな道のりはランニングと似ているかも知れない。すぐに速く長くは走れない。地道に毎日繰り返すトレーニングの先に、結果が待っている。また明日も走ろう。一歩一歩前へ踏み出そう。ゴールを見失わず、しかし目の前の一日を大切に暮らそう。