Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

実は、とても理系的

先週の金曜に、「数学は、物事の本質を見極める力を育てる学問なのではないか」という内容を書いた。ものごとの本質に迫るのが自然科学であり、共感するのが人文科学ではないか、とも書いた。
このような考え方に基づくと、実は「新聞を読むことで数学の力が育成される」とも言えそうだ。今日はそのへんをば。


昨今、新聞業界は大変である。何しろ新学習指導要領に新聞が登場し、学校で新聞が使われるのである。(それについても色々と意見があるのだけれど、それはまた後日)
先日、教育に関する研修会を受講したのだが、その中で「算数の力をつけるには」として次のような方法が紹介されていた。

新聞の一面にある全国の天気を利用した、最高気温と最低気温の足し算・引き算。国土に興味を持つきっかけにもなり、県名や位置、特徴を覚える予備知識にもなる

ある時期まで数学の教員を目指していた僕にとって、ため息ものの方法である。はああーー。そうかあーと。
確かに、1桁から2桁の計算を繰り返すのは悪くないし、自然にマイナスの概念を理解できるのも悪くない。なおかつ南北に長い日本各地の気温や天気に触れておくのは、地理を学ぶにはとてもよい予備知識だろうし、文句を付けようもありません。

でもねでもね。いいですか。数学って計算じゃないんですよ。
足し算引き算っていうのは、要するに、やり方さえ分かれば誰でもできるんです。やり方さえ分かっていれば電卓で良い。やり方を理解するのが大事なんです。もちろん繰り返し計算するのは、やり方を理解するのに効果的なアプローチではあるけれども、本当は、世の中にある多種多様な問題に対して解決方法を考えるための学問なんですよ数学は。


従って、僕は宣言したいのだけれど、新聞の記事そのものが数学的な力、すなわち本質を見極める力を育成する格好の題材なのだ。
何故か。
新聞記事の多くは、複雑な要因が絡まっている社会の事象を解説している。そして、「見出し」や「リード」によって、その事象の本質や核心を突いているのだ。もちろん、記者や新聞社のフィルターがかかっていて、本質や核心もそれにより変わる。でも、ひとまずその記事においてはある問題をあるフィルターで切り、その最も核となる部分について大きく表現しているのだ。

例えばエジプトの政変については、本当に様々な要素が絡まっていて、また時々刻々と状況は変化しており、何が本質かを見極めることは難しい。しかし、少なくとも日本時間2/12の状況において最も本質的なことは、ムバラク氏が大統領を辞任したことだ。そしてその辞任はどのような経緯によって成就したものなのか、辞任後はどうなる見込みなのか、が綺麗に整頓されているのが新聞記事である。


従って僕は、新聞記事を読むことが、物事の整理の仕方と、本質へ迫るアプローチを学ぶ格好の訓練になると思っている。これぞ問題解決へのアプローチであり、人生を送る上でとても大切なチカラの一つなのだ。そしてそれは、数字というピュアな記号を用いて育まれるスキルと全く同じものなのだ。文系出身の方が多い新聞業界で、実はあまり気づかれなかった点ではないか、と感じている。
ただし、人生において大切なもう一つのチカラを忘れてはいけない。それは共感だ。答えの無い世界において、矛盾だらけの人間同士を繋ぐ心の動きだ。


そんなわけで、いつかこんな話を子どもたちに話せる機会が無いかなあ、とか、いや自分でつくるんだ!とか、ちょっと前のめりな自分であった。